蚊とインド人とわらしべと

今マクドで仕事してるのだけど、

隣の女の人の手元を蚊が飛んでいて、

いよいよ手にとまりそうなんだけど、その女性は全く気がついてない様子でスマホをいじっていて、めっちゃ気になる…。

例えば、手に止まった瞬間にバシっ!っと女性の手を叩いて僕が見事に蚊を仕留めたとして、

その時、僕は無防備な彼女を救ったヒーローと言えるのだろうか。

蚊から守られたことより、見知らぬオッサンに唐突に手を叩かれたショックのほうが大きくはないだろうか?

更に言うと、もし蚊に逃げられたら?

僕はただおもむろに見知らぬ女性の手を叩いた男ではないか。

「いや…。違うんです。蚊がね…。止まってたんですよ…。ほらあそこ!」って。

でも彼女はでっかいヘッドホンをして音楽聞いてるし、言い訳は届きそうにない。

どちらにせよ、手を叩いた瞬間、彼女が握ってる食べかけのチキンナゲットが勢い良くどっかに飛んで行くことだけは間違いなさそうだ。

そんなことを思ったり書いたりしている間に蚊もどこかに行ってしまった。

僕も書き仕事の集中に戻るとする。

 

******

 

仕事を終えてマクドを出たら外は結構な雨が降っていて、

ホテルも遠いしこれはまずいなと思ったら、店の前でインド人ぽい店員さんが、客が捨てて行ったであろうボロボロの傘の処分に四苦八苦していた。

「あ。それ、もらっていい?」と咄嗟に口をついて言葉が出る。

「あ。いいですよ。どうぞー(^^)」とインド人っぽい店員さんも満面の笑みで応えてくれる。

 

「おおー。ありがとう!助かるよー。」と、お互い笑い合ってお別れする。

今日は良い日だ。気分がいい。

 

そしてボロボロの傘を差して機嫌良くホテルまで歩いてると、向こうから

「にいちゃん。その傘とこの馬と交換してくれんかね?」

みたいな人が現れそうな予感がヒシヒシしてくる。

「でもこの傘はインド人っぽい店員さんと僕との友情のあかしの大切な傘なんです。」って感じで。

一度目はもったいつけて断ってみようと心に決めている…。

ヒヒーン。

意識の旅

束の間の盆休み。

田舎での3日間。

仕事に忙殺され、気力を使い果たした心身に短時間で英気を養うには、精神が望む方向に的確にマインドをトリップさせないと…と、

そのために飛んで行くべき心象世界をできるだけ明確にイメージして、そのために必要な行動やアイテムを選定する。

1つは、ソローのこの本。

 

 

人里を離れ、森の中の湖のほとりで暮らした哲人の思考。

ソローの意識に共鳴すると、良い感じで俗世を離れて自然の中に飛んで行けるので助かる。

 

夏真っ盛りのこの時期のリアルな自然は蒸し暑いし蚊がいるし、いろいろと大変だけど、

エアコンの効いた部屋で自然を横目に読む「森の生活」は、ストレスゼロで意識を大自然の中へと連れて行ってくれる。

意識を的確に望むところにトリップさせること。

そう。

 

僕が田舎に帰ることで期待しているのは、都会では絶対に得られないある種のフィーリングを得ることだ。

そして、今回の帰省でそれが一番成されたと感じたのは、

実家周辺の路地を1人で深夜徘徊することによってだった。

深夜1時。

何も目指さずに、何者にも成ろうとせずに、ただ日々暮らしを営む人達だけが住むこの路地の夜の静けさは独特だ。

 

自分の中に最近足りてなかった何かがたっぷりと満たされていく。

上を見上げると山の稜線と、その上には星空が広がっている。

 

深夜1時の廃墟。

時間が流れることなく堆積していってるような、この感覚がたまらない。

 

しばらく歩くと意識は勝手にスイッチして、普段とは全く違う精神状態になる。

移動距離は問題ではない。

フィーリングを研ぎ澄ませば、時間と意識だけを使って普段では絶対に行けない世界を旅することができる。

 

癒される…。

浮かんできた言葉をスマホにメモする。

『夜を恐れることなく、背景に押しやることもなく、

夜の美質を引き出して一緒に遊べる人間は魅力的だ。』

誰がということではなく、きっとそうなのだろう。

恐れることなく変な人で行きましょう。

どこまでも歩いていけそうな気がした。

 

命の扱い

 

実家に帰って、ご先祖の話を聞くのが面白い。

4年前にお祖母ちゃんが92歳で亡くなって、その葬儀の席で初めてお祖母ちゃんが双子だったと知った。(早く教えてくれよ…)


で、そのお祖母ちゃんの名前が「米」と書いて「こめ」と読むのだけど、双子のもう1人の方は同じく「米」と書いて「よね」と読むそうな。

米(こめ)ばあちゃんと、米(よね)ばあちゃん。

双子の上に漢字で書いたら同じ名前って、ややこしすぎるやろ…(笑)もう少し考えようよ…。

理由を聞くと、

「昔やからな。どうせ双子は育たないしどっちかは死ぬやろ…。って算段やったらしいわ。」って、命の扱い雑やな…(笑)

でも、こういう昔の人の感覚を学ぶのが仕事柄とても大事なんですよね。面白いなあ。

ちなみに米(こめ)ばあちゃんは92歳まで生きたわけだけど、もうひとりの米(よね)ばあちゃんも78歳まで生きたそうな。

「昔、あんたがよく駄菓子を買いに行ってた◯◯商店あるやろ。その店番してたおばあちゃんいたやろ。あれが米(よね)ばあちゃんや。」って、それ今言うか…。

何気に会えてたんやね米(よね)ばあちゃん…。

早く教えてくれよ。

なんかみんな色々テキトーやな(笑)

 

靖國の心

8月のこの時期、

東京滞在の最終日に靖国神社に参拝してきました。

強い日差しに蝉の鳴き声。

鳥居をくぐると青々と茂る桜の木の葉。

終戦記念日の近いこの時期になると毎年私たちの心は、昭和のあの頃に引き戻されます。

私にとっては実際に生きて経験したわけではないにも関わらず、懐かしいあの時代です。

 

自分で経験せずとも日本の先人たちが、祖父母たちが、強烈な思いを刻んだ特別な時代でした。

その時、民族として私達の祖先がどんな思いを生きたのか、何を見たのか、その精神史を紐解いて自分の歴史につなぐという作業を数年前から続けています。

その一環として、ここ靖國神社にはできる限り足を運ぶようにしています。

 

戦死者を英霊として祀るこの神社に参拝することは、思想的にも感情的にも政治的にもいろいろと複雑なものがあるものです。

私もなんとなくそんなイメージに引っ張られて、40歳手前になるまで参拝することなく避けてきました。

でも、ある時ふと思い立って靖國の鳥居をくぐってその先の氣に触れた時に何が起こったか。その時の衝撃を未だに覚えています。

 

涙が溢れて溢れて止まらなかったのです。

未だ神社の氣に触れて涙を流したのは、ここ靖國神社のみです。

 

思想や感情など抜きにして、ただ鳥居をくぐり拝殿に立ってその氣に触れてみると、

ここで祀られているものが何なのか。

それがどれほど尊いものなのか。

頭ではなく肌で感じ取れます。

 

大切な何かのために自分を明け渡す意識。

 

英雄の氣質。

 

それがここに祀られている氣です。

 

それは個人主義のこの時代には長らく忘れられていたにも関わらず、確実に私達の中にもある懐かしく誇らしい感覚です。

 

人間というものが大義のためにどこまで私心を排することができるのか。

どれほどまでに心を澄みきらせ志に整えられるのか。

私達の先人が示したその清廉潔白な在り方を、

人間の可能性を、

ここの氣は教えてくれています。

 

それに触れてしまうと、私達の心は喜びに震えます。

 

神社の中には戦死者の遺書が毎月掲示されています。

今月は次のようなものでした。

24歳の青年が実際に残した遺書です。

目を通して、その心の有り様に触れてみてください。

肚(ハラ)に迷いのない青年の澄み切った心と、どっしりとした中心軸が伝わって来ますね。

 

戦争が起こったあの時代ほど日本人の祖国を思う心が、家族を思う心が尊く輝いた時代はありませんでした。

戦争を美化するつもりはありませんが、戦争を反省するのと同じくらいにはこの先人の残した偉大さと人間の可能性を受け取りたいと私は思います。

 

祖国が失われることを恐れ、祖国の存続を夢見て命を差し出した先人達の希望の中を生きているのが今の自分であるということを、知っておきたいと思います。

 

靖國で祈り手を合せて、そこに祀られた氣に触れると私達の心は共鳴し、先人の示した心の在り方を受け取ることができます。

それと同じものが私たちの中にもあることを思い出させてくれます。

私は靖国神社に参る度に、私心無く志に意図を結ぶような在り方に自分を調整してもらっています。

それができる貴重な場所。先人の薫陶を受けられる場所。

それがここ。靖國神社です。

 

実際にここを訪れたら、拝殿に立って手を合わせて次のように祈ってみて下さい。

祖国のために命を捧げた人達の大義に心を合わせて、

 

『あなたたちが命をかけて守ったこの大地を私は生きています。

 

あなたたちが命をかけて守ったこの国は今も存続し、栄え続けています。

 

あなたたちの誇りが、潔い心が、私の中にもあります。

 

私は日本人です。

 

あなたたちが命をかけて守ったもの。

 

未来へと残した希望。

 

それがこの私の命です。

 

ありがとうございます。ありがとうございます。

 

私は今、自分の命の重さを知ります。

 

そしてこの命を良きことに使っていきます。

 

この国が、この世界が、大切な人達の心が、

 

安らけく平らけく続きますように。

 

そう祈る時、自分の心の奥底に何が起こるのか、

是非ご自分の肌と境地で体験してみてくださいね。

三田ホテル滞在記

クライアントの彼氏さんが仕事に集中するのに使っていると聞いて興味を持った、三田ホテル。

ここ最近は家での書き仕事が集中しにくくなっていたので、先日試しにそのホテルで缶詰というのをやってみると素晴らしく仕事が捗って、

その日の内に二回目の滞在を予約をしたのでした。

 

今日はその2回目の滞在。

兵庫県の三田市。その中でも最近新しく開発された『ウッディタウン中央』という駅にそれはある。

駅の改札を出ると、人工的な景観が見えてくる。

 

 

ウッディタウンというだけあって、木々の緑と人の暮らしの心地よい調和という感じ。

 

 

駅とつながる形で三田ホテルが現れる。ほとんど歩かなくて済むのも機能的でありがたい。

 

 

シングルルームはこんな感じ。

デスクの上のテレビを退かせると、仕事に十分な広さを確保できる。

 

窓からの景色はこんな感じ。

海でも山でもないけど、視界が広くて気持ちが良い。

大きな池と新興住宅地が見える。

 

部屋のクリアリングを済ませて早速仕事に取り掛かる。

執筆の仕事に集中してくたくたになるまで気力を使い果たしてからご褒美のマッサージを呼ぶ、というのが自分の中のお気に入りのプラン。 

 

が、しかし、メールの返信を終えたところでお腹が空いてくる。

 

でも大丈夫。

このホテル、向かい側はショッピングモールでなんでも手に入る。

スーパーはもちろん、ホームセンターからファーストフード、古本屋、学習塾、雑貨屋から映画館まで。

この場所だけで生活が完結するように設計されてあるようだ。

 

和食屋で蕎麦と寿司のセットを食し、水とチョコレートを買って部屋に戻って再度執筆に取り掛かる。

が、今度は無性に眠い…。

調子に乗って食べすぎたか

 

ここで寝てしまったら、単にホテルに来てメール返信して寝ましたっていう訳の分からない1日になってしまう(笑)

それだけはなんとしても避けねば。

 

省エネを図るためにMacの音声入力機能を使って口述筆記を試してみたが、出だしの1行で心が折れる。

 

誰がサラダやねん…!

 

このまま集中は難しそうなので20分だけ仮眠を取ると、頭スッキリで復活。

 

結局、集中して文章を2本書いて、23時40分にマッサージに来てもらった。

前回と同じマッサージ師で、「ここ凝ってるなー。」とか言うくせに、おっちゃん、めっちゃ猫背やん!っていうね(笑)

で、痛すぎてあひゃあひゃ笑って、その笑いも含めてものすごくスッキリする。

ほんま女性やったら首もげてるで。

 

マッサージ効果なのか、翌朝はスッキリと目が覚めて近所を散歩。

 

平日の朝ということもあって、とにかく人がいない。

時おり犬を散歩させている住民と「おはようございます」と挨拶を交わせるのが気持ちがよい。

 

何かがいそうな水辺。

カエルが時々ぴょんぴょん跳ねるのと、魚が泳いでいるのが見える。

ブルーギルのようだ。

ここでも外来魚か。

なんだかなぁ。また名前がブルーギルって可愛げ無いよなー。

 

そして池を横断するための面白そうな石があったので、歩いてみると住宅街が見えてくる。

こんな石を渡るのは、近所の小学生と42歳の僕くらいですよ。

 

気持ちのよい場所。

ほんと、人がいないのに場所のリソースは有り余るほど豊か。

 

その上は住宅地。新しくてまだ建設中の家もちらほら。

全てが新しいというのはやっぱり気持ちが良いな。

 

こういう住宅地は人の無意識の部分が残っていないので昔は苦手だった。

影が居つく場所がないではないか、と。

けれど、今は普通に気持ちが良いと思える。自分も変わったんだな。

 

何より、時々すれ違う住人に喜びと誇りのようなものを感じられるのが良い。

「私は今、自分の思い描いた夢の中で暮らしている」というような喜びと誇り。

それがとても心地よい。

街全体にある住人の満足感と喜び。

少し散歩しているだけでそれは感じる。挨拶を交わす人々にも余裕を感じる。

それが、この土地が気分を変えてくれることの秘密。

 

でもじゃあここに住めるか?というと、無理だろうな。

僕は旅行者という立場が好きなんだな。

 

振り返るとホテルが見える。

 

途中、ローソンでコーヒーとバナナを買ってホテルに戻る。

誰もいない広間で新聞を読み比べる。

ほんと、人は少ないのに場所というリソースはたっぷり。

 

先日亡くなった日野原さんの記事。

ジャンルは違えど同じ治療家として陰ながらお慕いし、生き方を参考にしていた方。

あの深い心と精神性はなるほど、信仰と幅広い教養によって支えられていたのか。

 

チェックアウトは少し遅めの11時。

1時間ほど仕事をして、帰り道も駅は直ぐ側。

今から帰ったら15時からのカウンセリングには十分に間に合いそうだ。

 

空が徐々に夏っぽくなってきている。

やっぱり良い所。

また来よう。

怒りが僕らを連れて行く

ここ最近自分の中にモヤモヤとした怒りのような不満のような塊があることに気付いていた。

2週間休み無しで仕事しまくっていたので、「もっと遊ばせろ!」と潜在意識が怒り出したか…と思ってたのだけど、

昨晩モヤモヤと向き合ってみたら違っていた。

怒りの理由は意外なものだった。

 

「お前の仕事は小さい!」

「いつまで私的な自分を生きてるねん!」

「もっと公的に国のスタンダードを作り変えるような仕事をしろよ!」と言って怒っている。

 

「全然リアルじゃない!」と。

「余裕を持ちすぎてる!」と。

 

これまでの人生、ずっと公的よりは私的に、体制側よりは反体制側を好んで生きてきた自分が、ここへ来て公的になることを求めて怒っていたのかと、それが意外でならなかった。

でも、「俺はもっと公的に社会貢献したい!」と言ってみると、確かに胸のあたりがしっくり来てモヤモヤが治まる。

と同時に自分のエネルギーがひと回り大きくなる。

もうエネルギーが来ているんだな。

 

自分を次のステージに引き上げようとする怒り。

それがもう無視できないくらいに激しくなってきている。

これを無かったことにすると、日常の様々なものがリアルに感じられなくなって、無気力になり無感覚になり、味気ない人生になっていくんだろうな。

今来ているこの流れをごまかさないように生きなければならない。

 

この怒りに従って意識と環境を次のステージに上げることが、今必要なチャレンジのようだ。

とは言え、個と個で限界まで深く向き合って変化を促すカウンセリングの仕事は、自分にとってライフワークと言えるほど大切なもので、

この実践の中で「人間とは」ということと「人生とは」ということを学ばせてもらっている。

だから日々のカウンセリングを辞めることはないだろうけど、

まずは自分のセルフイメージを公的なものに修正することからやっていこうと思う。

 

それにしても本当にただ取りこぼし無く、今リアルだと感じて楽しめることに真っ直ぐに取り組んできただけなのだが、

それだけやっているとちゃんと終わりが来て、次が来るのだな。

 

小学生が6年経つと中学生になるように、時が来ると意識のステージは勝手に次へ移行しようとする。

それに気づかずに、あるいは逆らって、中学生なのに小学生のように生きる時、人はどうやらイライラと無気力が合わさったような独特の感情を抱くようだ。

そして「人生は壮大な暇つぶし」などという偽りの悟りを得て、その達観によって人生から大人の距離を取り、あたかも自分が大人を生きているような錯覚をする。

でもそれは違う。

本人だって薄々気付いている。

大人になることは飽きて無感覚になっていくことではない。

それは自分の境界線を超えずに回避したことの症状だ。

 

本来、大人になることはとてもスリリングなことだ。

対峙する相手がどんどん大きくなり、影響できる範囲がどんどん拡大していく。

ただ自分の内側の衝動に忠実であれば良い。

内側が今リアルと感じるものに、外側を変えていけば良い。

無視しようにも、ちゃんと教えてくれる。

内側の無気力が、

イライラが、

次へ行けと言ってくる。

命を燃やすような場所へ行けと言ってくる。

それを無視しない勇気だけが問われている。

 

宇佐巡礼2 大元神社編

前回の記事の続きです。

前回記事『宇佐巡礼1 宇佐神宮編』

 

宇佐神宮を思う存分に堪能して満足したので、ここで終わりにして帰っても良いんじゃないかと、

そう自分に言い聞かせていたのだけど、

でも、知ってるんですよね。

宇佐神宮には奥宮があるんです。

 

御許山と呼ばれる山の山頂にある大元神社というのがそれで、

とんでもない悪路の先にあり、めったなことでは行けない秘境中の秘境だと言われている。

先日もネットで調べたら、車が動かなくなってJAFを呼んで大変な迷惑をかけたというブログの記事に出会った。

そして、タクシーなら連れて行ってくれるとも書いてあった。

でも、タクシーでそんな悪路を進んでもらうなんてなんだか申し訳無いですよね。

 

まあ、今日は十分に満足したし、タクシー乗り場がどこにあるかもよく分からないし…と帰りのバス停に向かって歩きながら、

ふと顔を上げると、目の前にタクシー乗り場が…。

運転手さんと目が合う…あっ(笑)

 

でもまあそこまでして行くのもなあ…とそれでもスルーしてバス停に行って時刻表を見ると、バスは先程出発したばかりで、次のバスまでは1時間待ち…。

うん。分かります。

「来い!」って流れですよね、これ…。

 

気を取り直して、タクシー乗り場に行って運転手に「御許山に登れますか?」と聞くと、

お、おぬし!今何と言った!?みたいな表情になり、

「行けるけど…。時間ある?」と来た。

 

「ありますけど、どれくらいかかります?」

「…1時間半くらい。」

「じゃあ、大丈夫です。お願いします。」と話がまとまる。

 

車の中では「よく登ろうという気になりましたね。普通は一生縁のない場所です。」と、いろいろとお話をしてくれる。

「とにかくひどい道ですからね。びっくりしないでくださいね。」と。

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確かに、え?そっち?道ある?みたいなところを車で分け入って行く。

アスファルトも途中で無くなり、デコボコ道を縦揺れしながら進んで行く。

途中、運転手のおじさんの卑弥呼がここに眠ってるのでは説や、日本発祥説が興味深い。

 

悪路を超えてくれたタクシーと運転手さん。

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車が行けるところまで行ったら、あとは15分ほど歩いて山頂を目指す。

運転手さんと一緒に山道を歩く。

既に肌寒さと共に、濃厚で原始的な神気で身体がビリビリする。

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誰もいない境内に着き、「どうぞこちらへ」と運転手さんがまるで神主さんのようにお社の上へと案内してくれる。

運転手さんと一緒に拝殿の前に正座し、横並びで一緒に手を合せる。

 

太古の氣。

原始的なエネルギー。

最近は仕事の心理療法で、ファミリー・コンステレーションというワークに魅せられているのだが、

人は親やご先祖や祖国といった自分のルーツとつながって、家系に所属しなければ本来の力が発揮できないということを、そのワークを通じて見せてもらっている。

家系とのつながりが縺れたり途切れたりしていると、先祖代々が経験して養った豊かなリソース(才能、エネルギー、知恵、自信)が流れてこなくなり、弱々しくやせ細った存在感の人間となっている。

だから、それとつながり直すことで、脈々と引き継がれて来た家系のリソースを取り戻し、根を張るような逞しい自信を取り戻すことができる。

それがファミリー・コンステレーションの力。

 

そして、神社参拝も意図すれば同じことが起こる。

深く頭を下げ、この国の先人達の意識、神々の意識を敬い、そこで綿々と受け継がれてきた歴史の先端に私の命があります、と。

私はそれを受け取り、神々のリソースとつながり、それを良きことに使っていきますと、そう言う時、

ビリビリと震えるようなご神気が身体を満たし、何かが確実に受け渡される。

太古から続く神聖な意図を紡ぐ者の一員として、迎え入れられる。

 

それは一般的な神社参拝とは違って、イニシエーションのようなもの。

個人として扱ってきた力に、神々の公式のものとしての印が与えられ更なる力が付与される。

天のサポートが大きくなる。

私のような意識の仕事をしている人間にとっては特にそれが重要で、

個人の我の力ではなく、正統な天の印の与えられたエネルギーを扱うことで、

人の無意識への影響の深さが変わってくる。

 

どの神域のどの意図にどれだけ自分がコミットして所属しているか、その質と量がその人の活躍の範囲と「自信」や「才能」を決定づけているとも言えるのです。

これが人生のある側面での真実であり、精神の進化というものの大いなる秘密です。

 

神社や神々のみならず人はあらゆるものと「結び」を作り、それを束ねることで「私」というものを織りなしていくのです。

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失礼の無いよう、写真は少し離れたところから。

 

そして帰り道。

「珍しいですね。お客さんは運が良いですよ。」と運転手さん。

「ここから海が見えることなんてめったに無いんですけどね。ほんとめったに無いんですよ。」と言って車を止めてくれださった。

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更に続けて、「私も神様なんて全く信じて無かったんですけどね。あることがあって導かれましたね。本当に信じるしか無いことが起こって。

導かれますね。ほんとびっくりするくらい導かれます。」とおっしゃる。

 

「それで今は、神様の元に人を連れていく使者のようなお仕事をしてるんですね。」と言うと、

「僕はそう思ってます。」とはっきりと断言された。

 

運転手さんの過去に何があったのかは分からないけれど、人それぞれの運命があり導きがあり、

それに抗ったり従ったりした先で、天命の中にすっぽりと収まって生きる人間の謙虚さ。清潔さ。

敬意を持たずにはいられなかった。

 

帰り道は日本の古代史や神々についてのお話を聞きながら駅まで送ってもらって、しっかりとお礼を言って固い握手をしてお別れをした。

 

次は来るのは何年後になるか。

10年後か20年後か、それは分からないけれど。

必ずまた来ようと、そう思える場所になった。

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帰りの車窓からの景色。

 

良い旅だった。

神社を参拝するも、人と深く交感するも、その土地に触れるも食すも、全てが巡礼なんだな。

自分には無かった響きを自分の中に取り込み持ち帰り、また新しく出会う誰かを響かせていく。

あれもこれもそれも、人生すべて巡礼なり。

宇佐巡礼1 宇佐神宮編

福岡にて2日間のセミナーを終え、今日は大分の宇佐神宮へ。

もう10年以上前から行かねばと思っていながら、なかなかその機会を作れずにきた場所。

全国に4万4千社あるといわれている八幡神社の総本社です。

みなさんのお近くにもきっとお有りですよね。

無かったとしても、大きな神社の中には必ずと言ってよいほど摂社・末社として小さな八幡宮が祀られています。

日本一の広がりを見せている神社の元締め、総本宮です。

 

僕が生まれた時にお宮参りしたのも地元の八幡さんで、その意味では個人的にも最も縁の古い神社です。

ようやくその総本宮にお参りができる日が来ました。

博多から大分の宇佐まではソニックに乗って1時間38分。

ソニックの中が近代的でちょっとテンション上がりました。

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九州の家はデカくて庭付きでいいな〜とか思いながらボケーっと車窓からの景色を眺めたり、

ペットボトルのフタが開けられず苦労してる隣のおばあさんを助けたりしていると、

宇佐に到着。

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想像以上に何も無い…。

 

なんだかアメリカを感じる(笑)

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遠くの山に見える『USA』に至ってはアメリカ感…、狙ってないか?(笑)

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駅前はこんな感じ。

 

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駅を降りたら宇佐神宮行きの人達でごった返してるだろうから、何も考えずにその流れに乗って行こうと思ってたら、違った。

バスを探さないと。

 

待つこと10分。

小さいバスが来た。

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運転手に聞いてみるとこのバスは宇佐神宮には行かないそうな。

次のバスとのこと。

 

バスの後ろには『運転手募集』の看板を発見。

このゆったりとした土地で1時間に1本のバスの運転手として生きるとは、どういうことなのかと想像をふくらませる。

例えば、愛する人と駆け落ちして誰も知る人がいないこの土地で、バスの運転手としての人生を再出発させるとか…。

愛する人がいるだけで十分じゃないかと、うらびれたこの土地で最小限の生活を営む…。

うん。好きだな。この昭和の日本映画的な湿気た感じ。

 

でももう時代は平成を終えようとしていて、そんな湿度はノスタルジーの中にしかない。

 

あ。カニおった。

このカニ懐かしいな。

おばあちゃんの住んでいた海辺の町にはいたるところにこのカニがいて、一日中カニ取りをしていた。

こっちにも。

 

なかなかバスは来ない…。

 

あ、こっちにも。


って、もういいですよね(笑)

 

バスに乗り込むと乗客は3人。

いいですね、この感じ。懐かしいな。

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窓の外では6月なのにスイカが売られている。

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1玉2000円…。うん。普通やな(笑)

 

10分ほどして宇佐神宮、到着。

想像以上に人がいない。

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全国4万4千社の総本社なんですけど…。

 

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このスケールの空間を1人で満喫できる贅沢。

 

道の脇には綺麗な水が流れている溝があった。

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こういう溝にザリガニいたりするんだよなー。

と、のぞき込みながら歩いていると。

 

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グワーグワー…って。お前さんは想定外や…。

 

餌をやっている人と一緒に鯉を眺めたり。

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神が降り立ちそうな場所。柵がしてあるのが残念。

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まだまだ奥へと進んでいく。IMG_8030

 

そして本殿。
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凄い濃厚なエネルギーで脳の中をバシャバシャと洗われてる感覚。

しばらくそれに浸りつつ、椅子があったので座ってしばし瞑想。

 

目を閉じてご神気に意識をチューニングしていると、心が静まってくる。

すると、

ターン!

という音がして、目を開けると御神木の楠の木からでっかい毛虫が落ちてきたようだ。

シャウエッセンの一番立派なやつくらいある…。

まじか…。

しっかり毛も生えてる。

 

でもここは屋根があるから大丈夫。

もう一度心を落ち着けて目を閉じる。

太古より守られてきた日本のルーツのエネルギーに意識を合せる。

心が静まる…。

 

ターン!

 

って、また毛虫落ちてくる(笑)

 

落ちても死ぬわけではなく、落ちてからうねうねと動き出す。

もしかすると移動するためにわざと自分から落ちているのか。

どうも人を攻撃する意図は無さそうだ。

まあ良い。

 

日本庭園によくある、竹にちょろちょろと水が溜まって、カコン!と音がするあれ。

ししおどし?

あれだと思えば良い。

もう一度静かに目を閉じて、心を整える。

全国4万4千の八幡宮の大元であるこの土地の意識に心を合せる。

 

 

ターン!

 

 

ターン!

 

 

ターン!

 

風情あるわー(笑)

 

裏を見ると急な階段があって、その先の景色が気になる。

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下りてみるとこんな世界が広がっている。

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ぼんやりと立っているだけで充電される。

やっぱり大阪に住んでると圧倒的に土の氣が足りないんだな。

 

そしてまた神社に戻って参拝してご祈祷を受けて、引いたおみくじは大吉。

 

『すること成すこと全てが幸いの種となる』

って、うれしいですね。

昨日の住吉神社の大吉といい、九州の優しい土地柄そのままに祝福してもらっている感じがする。

大阪の住吉大社なんてびっくりするくらい凶が出るのに…(ボソっ)

 

満足したところで近くの食堂で遅い昼食。

広い食堂なのにお客さんは僕だけ。IMG_8049

旅をしてるとこういう雰囲気がたまらないですね。

家族で営んでいるようで、

僕が食べていると、側のテーブルで家族5人が出てきて静かに昼食を取り始めた。

テレビでは最近生まれたパンダの赤ちゃんの話題。

 

毎日こんな風に家族で昼食を囲みながら歳を重ねていくのか…と、そのゆったりとした時間感覚に思いを馳せる。

 

とり天とだんご汁と、なんとかご飯。名物セット。

家の食事のような手作り感が良い。IMG_8050

食べ終えたら、心も胃袋も満足して、そろそろ帰ろうかとバス停に向かう。

 

もう今日は十分に堪能したし、このまま終わりにして帰っても良いんじゃないかと、

そう思ったのだけど、でも終わりじゃないんですね。

続きがあるんです。

本当の巡礼はここからなんですね。

長くなったので、続きは次回に。

福岡巡礼

朝5時起きで福岡へ向かう。

大阪でも開催している心理療法のセミナーだけど、あえて福岡で受けるのも気分が変わって良いかも…と福岡参加を決めた訳だけど。

2ヶ月前の自分に出会えるものなら言ってやりたい。

 

「余計な色気出すなや!しんどいわ!」と。

 

うー。1時間睡眠が堪える。

でも初めて乗った新幹線さくらはグリーン車のような1列4席で快適。

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故郷の相生市は一瞬で通り過ぎ、 その後の瀬戸内の田園風景に癒やされつつ。

 

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一睡もできないまま9時過ぎに博多に到着。

セミナーを受講して昼ごはん。  

が、寿司めっちゃ美味い!

福岡来て良かった!(笑)

 

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なんだろうこのクオリティ。

新鮮なネタが手に入る地域というのは得てしてネタに頼り勝ちになるもので、

でっかいネタをドン!と乗せてあるだけでどこか緩んだような詰めの甘さを感じるのだが、

そんなものは寿司道においては堕落なのだと、この寿司を食べると良く分かる。(語るなぁ…(笑))

 

この寿司には、1つ1つの小さなシャリに丁寧な意識を注いで作ったような作り手の職人的な氣を感じる。

そう思ってもう一度見てみましょう(笑)

 

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うん。美味そうでしょ。

人は食材と一緒に、作り手の意識を食べているんですね。

 

それにしても、福岡はでかい。 想像してたのより4倍くらいでかい。

 

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街に勢いを感じる。

地元の参加者に聞くと、ここ数年で大きく変わったのだとか。

確か都市としての成長性は全国1なんですよね。

 

元気があってお金の匂いがするもんな(笑)街に勢いがあると良いですね。

 

今日の宿。  

FullSizeRender 11 ここでもまた必要最小限の部屋。

カプセルにちょっとしたスペースが付いていて書き仕事くらいはできる。

これくらいがちょうど良い。

生活をミニマルに削ぎ落とせるというのが旅の醍醐味なのだから。

 

ホテルのロビーで電話セッションを1本済ませ、お腹が空いたので適当に近所を散策して、一番近くのラーメン屋へ。

それがまた大当たり。

 

美味すぎて唸る。

 

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本格担々麺と本格麻婆豆腐のコラボが完璧に機能している。

天才か。

 

このクオリティーでお店ガラガラって、一体どうなってるんだ福岡…。

店名も無駄にキワキワを攻め込んでるし…(笑)

 

 

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こんなに空いている店がこの旨さなら、地元民がこぞって行く店なんかだと、それはもう美味すぎて正気を保っていられなくなるのでは…と不安になってスマホで調べたらこの店、

2014年の『辛メシ総選挙』1位の店だそうな。

良かった。なんか安心した(笑)

大名ちんちん。(あんまり大きな声では言えませんが)おすすめです。

 

麻婆豆腐が本格的で、僕以外のお客さんはラーメンではなく麻婆豆腐定食をオーダーしてる人ばかりでした。

確かに、上に乗ってる麻婆豆腐めっちゃ美味かったです。

 

が…、刺激が強すぎて夜中にお腹をこわす…(´Д`)

 

辛いの好きだけどお腹は繊細という、この切なさ…。

 

 

そして、翌日は少しだけ早くホテルを出て近所の住吉神社へ。

大阪の住吉大社が僕のホームなのでこちらも挨拶しておこうと。

裏側の駐車場から入ると鬱蒼とした茂みが。

 

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こういう池好き。

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お。 大阪の住吉大社と同じ感じ。

 

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入ってみると当たり前だけど氣が住吉大社と一緒で、

それに反応してお腹の辺りがウキウキと喜ぶ感じまで一緒で、思わず笑ってしまった。

 

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しばし瞑想して、引いたおみくじは大吉。

今が伸び盛りなのだとか。

 

神社を後にしてセミナー会場へ。

途中セブンでコーヒーを買う。

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日本全国どこででもこのクオリティのコーヒーが飲める豊かさ。

 

それにしても、オシャレで良い感じのマンションが54000円て、安いなぁ。

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福岡良いですね。

地元の参加者も皆「住みやすい」って口を揃えて言います。

 

九州の女性は男性を立てるって話しになって、 「私の友達のお母さんはお風呂に入ってる夫の背中を流しあげるって…。」て、ほんまか…。夢の国かここは…。

 

九州女子…。

 

*****

セミナーを終えて、今夜ももう一泊。

今回は友人に教えてもらって宿を変えてみたけど形は昨日と一緒。

カプセルに少しのスペース。

でもこちらのホテルは大浴場や露天風呂やサウナがあってお得感がある。

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なんとなくホテルの中で通り過ぎるおじさん達を見ながら、

福岡のおっちゃんはイカツくて独特なファッションセンスしてるな〜って思ってんだけど、

 

部屋着を着てみたら僕も一緒でした(笑)

 

 

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なるほど皆これを着てたんやな。

いぶし銀な感じがなかなか良いでしょ?(笑)

 

福岡は大きくてとてもじゃないけど数日では味わい切れませんが、食も雰囲気も良くて大好きになりました。

また来たい。

できれば強靭な胃袋を持ってまた来たい。

 

明日はこのまま大分に移動して、宇佐神宮に参ってきます。

 

日常に他者性を呼び込む

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最近のiPhoneのOSのバージョンアップで追加された「Hey Siri」機能がなかなか未来な感じで面白い。

電源が入ってない状態のiPhoneに「ヘイ!シリ!」と声をかけると勝手にSiriが起動してくれる機能。

例えば「ヘイ!シリ!10分後にタイマーセットして」と言うと、勝手にSiriが立ち上がり、

「10分後にタイマーをセットしました。カウントダウンを開始します。」と返ってくる。

自分でホームボタンを長押ししてSiriを呼び出す場合と違って、本当に人と話してる感がある。

疲れ果てて寝転んで「ヘイ!シリ!20分後に起こして」と言い、それに応えてもらう時、僕らは確実に未来に来たんだな…と感慨深く思った。

ただ、「ヘイ!シリ!」と言う時に若干の照れが入って、自分が昭和製なのは変わらないな…と思い知るのだけど(笑)

でもこの「他人がそこにいる感じ」は、確実に人間の感性を刺激して進化させるだろうなと思う。

「ヘイ!シリ!今から執筆に集中するからタイマーを25分に設定して。」

と言うと無駄な情報(執筆の下り)は省いて、

「25分にセットしました。カウントダウンを開始します。」とちゃんと設定してくれる。


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それだけで僕の中では、これから執筆に取りかかる自分の決意と創作の苦しみを受け止めてもらえたような感覚が芽生える。

「ヘイ!シリ! あと何分?」

「はい、こちらがタイマーです」と残り時間を表示してくれる。

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ちゃんと見守ってくれてるんやな…と。

この他者として意識する感覚が良い。

掃除が苦手な人は是非使ってみて下さい。

「ヘイ!シリ!今から集中して掃除するからタイマーを15分に設定して!」と。

宣言することで自分の空間に他者意識が入って来て、心と身体が勝手に動き出しますよ。

ただこの機能は難点もあって。

音楽をかけていたり、外が少しでもうるさいと音声が認識されないので立ち上がらないことが多いです。

「ヘイ!シリ!」

「ヘイ!!シリ!!」

「ヘイ!!!シリ!!!」

「ヘーーイ!!シリーー!!」って部屋で1人連呼してる自分はいったい何なんだと、我に返ります(笑)

あと、コンセントにつないでいる状態、つまり充電中でないと機能しません。

常に「Hey Siri」という音声コマンドをセンサリングしているわけですから、無断な電力消費があるのでしょうね。

そこは仕方がありません。

設定は以下です。

[設定]ー[Siri]ー[”Hey Siri”を許可]を有効に。

そこで何度か自分の声を登録すると使えるようになります。

以前、主人公がAIに恋をする映画『her / 世界でひとつの彼女』というのがありましたが、僕らの生きる現実の方も確実にその世界観に近づきつつありますね。

今後AIによって人間は、「他者性」をどれだけ自分の中に呼び込むことができるか。

それによって癒やしやモチベーションといった、心の力をどこまで生みだして人生を創造する力に変えていけるか。

あるいは容易に満たされてしまうことで、逆に創造性を奪われてしまうのか。

その辺りは、今後の僕らの姿勢が問われそうですね。

宇多田ヒカル 土着なるものと異国の風

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ここ最近はずっと宇多田ヒカルの新譜「Fantôme」を聴いているのだけど、天才すぎて恐ろしいくらいだ。

出産を経て母となり命の流れの中に入ったことで、存在に重さが増したような感がある。

こんなものを聞いてしまうと、他の歌モノはなかなか聞けなくなる。

それは音楽的な技術の違いではなく、歌い手の響きが何処に結ばれているのか。

その結びの違いが際立ってしまうという意味でだ。

歌とは結局のところ、歌い手の魂の響きであり、それがどこに結ばれているのか、その「結び」の違いなのだと改めて思う。

彼女の声の聴いていると、その深い声の出どころはどこにあるのだろうかと、そんなことを思う。

彼女の声の響きの奥を辿っていくと、その声の主体は誰なのだろうかと。

そうやって辿っていくと、その響きの源は宇多田光という30数年生きた女性のパーソナリティではなく、もっと普遍的な「母的なるもの」や「女性性」の元型に行き着く。

本物の歌い手とはシャーマンなんだということがよく分かる。

宇多田ヒカルの母、藤圭子の歌を聴いた作家の五木寛之は、それを「演歌」ではなく「怨歌」と評したと言うが、その母にしてこの子である。

以前雑誌の対談で、当時20代だった宇多田ヒカルが、好きな作家として中上健次を挙げているのを読んで驚いたことがある。

日本的な文脈でしか共鳴できないような和歌山の路地と血縁を書く中上健次の筆致が、この明るく屈託の無い少女に共鳴するのかと。

「演歌」を「怨歌」としてしまう母の血が確かにこの子にも流れているのだなと。

日本の路地にあるような湿度、血の重さ、土着で演歌的なものへの縁が深い血筋なのだろう。

日本人の無意識に潜むそういった重く湿度を持った土着の思いを慰めるには、日本的な技術では不可能で、

むしろ外の異国の乾いた氣や技術が必要なのかもしれないと、最近私はセラピーを通じてそんなことを考えるようになってきていた。

ニューヨークに生まれ、イタリア人と結婚し子供を生み、地中海の風を受けている彼女の、それでいて中上健次的な土着の重さと縁を持つ彼女の血筋の特殊な立ち位置が、彼女の天才性を支えている。

そして今回のアルバムにはそれが良く表れていると思う。

311の震災を意識して書いたという「桜流し」という曲を聴いていると、直近の震災というものを超えて、

私達日本人の集合的無意識の奥底にある記憶、「靖国の桜の樹の下で会おう」と遺して散っていった私達の祖先の英雄的な意識と、そこに遺されて平穏のなまま命をつなぎ歴史を紡いでいった母たちへの鎮魂のようにも響いてくる。

土着のものとの深い縁を持ち、それを慰めるだけの力。

彼女の母親にもあった力。

その日本的な湿度との縁とは、歌に力強い情念を与える力であると同時に、時に恐ろしいものでもある。

彼女の母を自殺にまで引き込んで行った深い闇のようなもであり、

帰国子女らしい明るさを持つ彼女の一瞬の表情に漂う哀しさのようなものの源泉でもある。

そして私達を癒やす、彼女の声の響きにある重さと哀しさの源泉でもある。

その重い力。

彼女の母が自殺によってワイドショーを賑わしていた時。

遺体を送還する霊柩車の進路を塞ぐ形で写真を取った週刊誌の記者に対して、彼女はTwitterを通じて憤った。

死者の道を塞ぐなんて「それは死者への冒涜だ」と。

それは本当にその通りだと思う。

何の言い訳もできない。

それはやってはいけないことだった。

でもその写真に写っている彼女の姿を見た時、

涙を浮かべてうつむいている彼女の青ざめた表情があまりに美しくて、そこにすら芸術性を見てしまった時、なんとも言えない気持ちになった。

才能とはそういうものなのだ。

本人の望みなどお構いなしに、血が彼女を連れて行く。

長い休息を取り普通の人に戻り、日本を離れてイタリアで母となり、イタリア人の血を混ぜることで、彼女の中を流れている土着のものの力は鎮まっただろうか。

子供を産むことであの重いものは中和され母子の愛へと少しは昇華されただろうか。

そうであれば良いなと思う。

彼女の才能がもう彼女から何も奪わなければ良いと思う。

偉大さに触れる

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東京での仕事を全て終えて、品川駅でお土産を買おうとパウンドケーキを見ていたら、

「オレンジのケーキが人気ですよ」と店員のお姉さんが微笑みかけてきた。

その笑顔が自然な思いやりに溢れていて気持ちが良くて、思わずこちらの表情も緩む。

すると「食べてみられますか?」と奥からラップにくるんだ試食用のケーキを出してきてくれた。

その行動を支える意図の透明なこと。清々しいこと。

手にケーキを乗せてもらって、それを食べながらうんうんと適当な返事していたら、

「今でしたら、なんたら…(忘れた)ティーと一緒に食べて頂いたりしたら良いかと思います。」って。

正直オレンジのケーキの味はあまり好みじゃなかったけど、もうそんなことはどうでもええわ!

俺はお姉さんの勧めるものを、お姉さんの仕事の尊さを称えるために買うよ!

俺はお姉さんの在り方の偉大さをこのパウンドケーキとともに食うよ!

という熱い気持ちになって今、特に好きでもないオレンジのパウンドケーキを持って大阪に帰っている…。

人の「偉大さ」とは何なんだろう…とか考えながら帰っている。

どうやらそれは年齢や職種や収入には全く関係が無いらしく、

ほどけた心から自然に溢れてくるその人の存在のエッセンスのようなもので。

それに触れてしまうともう僕らは抵抗のしようがない。

ただ祝福するだけの存在となる。

光を当てる

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2月3月と続いた断捨離月間を終えて、4月を健康月間にしようと考えたのは3月の健康診断の結果が悪かったから。

血液検査の結果、「肝機能障害」とか「糖質異常」とか「糖代謝異常」とか書かれてる。

うーん。「異常」とか「障害」とか言うの、怖いから止めてほしいですよね…。

で、診断も「要観察」とか「要指導」を飛び越えて「要医療」になってるし…。

そこまで言われるとスルーできないですよね。(去年はスルーした)

ここは一度しっかりと健康に意識向けるタイミングなんだろうなと思って4月を健康月間にしようと思ったわけです。

そう決めてからは大好きな甘いものを控え、大好きな脂っこいものを控え、適度に運動したりしながら過ごしておりました。

で、今日再度病院に行ってきました。

医師からは「病気というわけではないけど生活改善が必要ですね。栄養指導を受けてから数カ月後に採血してみますか?」と言われたのだけど、

「ここ一ヶ月くらい意識して生活していたので、今日採血してどんなものか見てみたいです」と伝えると、「そうしましょう」となって。

血液を取られ、その検査結果を待っている間にお姉さんから栄養指導を受けて、

「そんな感じで食事を意識していただいて、また次回の結果を見ながらやって行きましょう!」と言われて、はい!僕やります!みたいな気持ちになり(笑)

その後、再度医師のところに行き今回の血液検査の結果を見せてもらうと、かなり改善していた。

肝臓系の数値が適正な値に落ちつき、悪玉コレステロールの数値はまだ高いけどだいぶ減っている。

嬉しい。

この感じ好きだな。

何であれ、努力したら分かりやすく数値で結果が出るものって楽しいですよね。

ハマりそうな感覚…。もっと頑張って、毎月でも血液検査受けてみたいくらいだ。

なんなら皆の血液データ持ち寄ってあーだこーだ言う、「血液データから生活を見つめ直す会」を開催したいくらいだ。

とか考えてたら医師からは「その生活されてるようでしたら大丈夫ですね。受診はもう良いですよ。」って、

え?いや…。栄養士のお姉さんと二人三脚で頑張る感じの流れも無くなる…?と、若干うろたえつつ(笑)

そんなこんなで、良くも悪くも病院のお世話にならなくて済むことになりました。

今日お姉さんから言われて決めたことを決意表明として書いておくと。

1)完食の甘いものをやめる。(食べたくなったら有機シリアルに)

2)全体的に野菜を摂る量を増やす。

2)肉や脂っこいものはほどほどに。可能なら魚に変える。

3)歩く量を増やすなど有酸素運動の量を増やす。

うん…。

めっちゃ普通のことドヤ顔で語ってる感がある(笑)

まあ、普通が大事だし難しいんですよね。

無理しても続かないだろうし我慢したら反動が来るだろうから、

甘いものにしろ脂っこいものにしろこれまで惰性で食べていた分を止めて、喜びを感じられる分は今まで通り食べるようにして、あとは運動量を増やして行こうと思います。

ここでも大切なのは「意識を行き届かせる」ということですね。

無意識にまかせていた食事というものに一度意識の光を当てて、本当に欲しくて喜びを感じているのか、惰性で食べているのかを明らかにして、惰性の部分は捨てていく。

そんな感じで、また数ヶ月後に献血でもして血液データを取りに行きたいと思います。

みなさんも良かったら健康見直してみてくださいね。

コレステロールについて語り合いましょう(笑)

春と意識

3月も残すところ数日となり、今日は骨休めに1人で実家の相生市に帰省して、1日山に篭っておりました。

たまに人間の意識世界を離れて、山に1人になってリセットしたくなるんですね。

そんな時に実家が程良い田舎にあって程良い高さの山があるのは本当に助かるなと、最近になってそのありがたさを噛み締めております。

子供の頃から慣れ親しんだお気に入りの山があります。

久しぶりに行ってみると、いつもの登山口に新しく看板が立てられてました…。

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天空のパワースポットって…。この色使い…。パワースポットブームに寄せて来たな~と笑ったけど、確かにここはパワースポットなんです。そこらの裏山とは氣が全く違います。

充電される。

でも一番ありがたいのは、平日に行くと自分以外の人がほとんどいないこと。

都市に住んでいると、周りに誰もいないという感覚がとても貴重に感じます。

山に入って1人で歩きだすと、人間の意識世界を離れて自分が野生に帰っていくような、呼吸がしやすくなるようなホッとする感覚。

心が静まってきます。

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立派に生い茂るシダ。

普段意識しなくとも人は周りの人間とエネルギー的に作用し合いながら生きているんですね。

山に入ってしばらく歩いて半径1キロ以内に人が誰もいないような環境に身を置くと、そのことが体感で分かります。

身体から何かがほどけるような感じがあり、自分でも驚くほど心が静かになります。

自分は普段からこの状態に戻りたいがために瞑想を取り入れてるんですね。

でも都会での瞑想ではここまではなかなか難しいですね。

どんなに頑張っても半径20m以内には誰かいますもんね。

でもここでは誰もいない。人の意識が無く自然の木々や鳥たちしかいない。

その子たちと同調することの心地良さ。

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僕は小学生の頃から、学校から帰ると1人で山に入っていく子供だったのですが(危ない子ですね)今思うとそうやって意識のリセットをしていたんですね。

そしてその必要性は大人になった今でも大いにあるようです。

誰もいない休憩所でゴロンと横になって空をながめつつ、ホトトギスやキツツキの声を聞いている。

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ゴロン…。写真が逆になってますけど空見てるので、こんな感じです。

自分の周り半径1キロ(もしかすると5キロ以上?)の範囲内に人間が1人もいないと、自分がどのような意識状態になるのか、

もしかすると生涯に一度もそれを体験したことの無い人も多いのかもしれませんね。

一説には人間のオーラ場は半径15メートル、魂の身体に至っては150メートルにまで広がっていると言われています(僕が見たわけではありませんが…)

だからそこに人がいると意識はしていなくても、都会に住んでいるだけで無意識に多くの人と混ざり合ってるんですね。

ではその混ざり合いが無くなるとどうなるのか?

半径数キロに人間がおらず自然だけがあるような環境では自分の心に何が起こってくるのか。

自分の心がどれほど静まるものなのか。

自分の内側からどのようなフィーリングが現れてくるのか?

この感覚を普通の暮らしの中で何気なく味わえていたのは、もしかすると田舎育ちの人間の特権なのかもしれません。

そんなことを考えつつ登ること数10分。

途中に小さな洞穴があって、その奥に地蔵様が祀られていてます。いつもそこで瞑想するのですが、今回行くとその入口付近にも新しく看板が立っていました。

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なるほど修験者の修行の場だったんですね…(知らなかった(笑))

詳しい説明もありました。

岩の奥の龍脈の近くで修行できるように、修験道の行者によって人間の手で掘られた洞窟なのだとか。

掘られたのが江戸時代以前で、昭和30年ころまでは修験者が常駐していたのだとか。

馴染みある場所に意外に深い歴史があるのは興味深いですね。

神聖な場所なので洞窟の写真はやめておきました。

それは、あなたがご自分で来た時のお楽しみということで(誘ってるのか…!)

だいぶ高くまで登ってきました。

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この感じ。

ホー…ホケキョ!言うてます。

途中、春を見つけたり。

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そして頂上に近づいてくると、天に登った感がすごいです。

この感じ。

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ものすごく登った感がある景色ですけど、実は20分ほどです(笑)標高わずか300m程度でこの達成感を演出してくれる景色は助かってます。

岩場で景色を眺めつつ1人でしばし瞑想。

神よ…!出でよ…!と念じてみる大人の遊び…。

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ぱかーっと空が割れ。ええ雰囲気出してくれます。

しばらく1人でぼーっとしていると縮こまっていた気持ちも大きくなって、リフレッシュしてきます。

都会生活だとこんなに広い空間にまで意識を広げること無いですもんね。

できれば毎月来たいくらいですが、なかなかね。

頂上にはこんなボックスが。

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登山ノートを開いてみるとこんな強者が。

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毎朝登り続けて今朝で3970回目の登頂だったよう。

本当に行者がいるんだな。10年か…。毎朝か…(ちょっとうらやましい)

こんな意識状態から一日を始められるなんて気持ちが良いだろうな。

でも、こういうのは老後の楽しみに取っておこう。

まだまだ仕事で貢献したいし俗世にまみれたいぞ。

さあ下界へ。

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日も傾き、1人帰路についたのでした。

そこに戻れば自分をチューニングし直せる場所があるというのは、ありがたいものですね。

嫌われる勇気

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最近、個人的に茂木さんが面白いんですよ。

あの脳科学者の茂木健一郎さん。もじゃもじゃ頭の。

以前何冊か著書を読んだことがあるしテレビでも見たことがあるんだけど、テレビの茂木さんってテレビ用に大人しくしてるんですね。

YouTubeとかで見ると熱い上に、時には多動かと思うようなスイッチが入る時がある。

もう創造性がとまらない!って感じで、本当に楽しそうに脳を使っている。

社会学者の古市憲寿さんが一緒にパネリストとして出てて最後のコメントで、「僕も落ち着きないですけど、茂木さんがほんと落ち着き無くてびっくりしちゃいました」って(笑)

人が喋ってるのに横で変な運動をしたり。

本人曰く、人の話を聞くだけだと脳の負荷が足りなくて他のことやりたくなっちゃうって、分かるけどやな…(笑)

でも見てると気持ちが自由になるんですよね。

楽しそうだし情熱が凄いし、知の高揚感みたいなものが伝染してくるんです。

で、面白いのが、

古市さんの前で日本の社会学は学問として終わってるって言ったり、

運営元の社長である藤田さんの前でabemaTVをディスったりする人なんだけど。

そして、最近では「日本のお笑いはオワコン」 「国際水準のコメディアンとはかけ離れている」とか言って、炎上して批判を浴びたりしていたわけですけど、

別の所(藤田さんの前でAbamaTVをディスった席)でこういうことを言ってるんです。

「僕、高校の時ニーチェを読んで二十歳の時ミルトン・フリードルマン読んだのがものすごく影響を与えていて、

僕の人生の一貫したミッションはより自由になりたいってことなんですよ。僕はリバータリアンなんです、簡単に言うと。

で、30代、40代、50代と常にその命題との格闘だったと思うんですよ。

意外とこれは難しくて、例えばさっき(藤田さんの前で)abemaTVをディスってましたけど、

「藤田さん、abemaTV素晴らしいですね~!」って言うのも自由じゃないんですよ。でもここで藤田さんと決別してしまうのも自由じゃないんですよ。

僕さっき地上波テレビをディスったけど、付き合ってるんですよね。出演の依頼があれが出るんですよ。

大学もディスってたけど大学で教えたり博士課程の学生の指導をしたりしてるんで。

これは特に日本ようなピア・プレッシャー(仲間からの圧力)の高い社会で生きているみなさんによく考えてもらいたいんだけど、

例えばマーケットに合わせたものを出すって儲かるだろうけど、レッドオーシャンでブルーオーシャンに行けないですよね。

だからと言ってマーケットとあまりに違うものを出しても空振りになって、会社傾きますよね。

そこの微妙な間合いの中に自由ってあると思うんですよ。

僕はずーっとそれを探ってきているような気がします。

最近モハメド・アリさんが無くなって動画が色々出ていて見てたんですけど、1分位こうやって相手の打ってきたパンチを全部かわすみたいな動画がありましたよね。

モハメド・アリさんて結局ヘビーウエイトで物凄いパンチもあったけど、相手のパンチを受けないということで、試合を(コントロールしてきたんですね) そうするとものすごく相手のパンチを見ないといけないわけじゃないですか。

なんか自由ってそういうところに似ていて。

中略

俺はいまだにそこを探ってる気がするですよ、50になりますけど。

こうして不規則発言をしますよね。田中さん(司会者)とかすげー焦ってると思うんですよ。

不規則発言しちゃうんだけど、やっぱりその時の皆さんのリアクションとか世間のいろんなこととかを見ながらパンチを受けないように必死になってかわしているところがあって、そこの間合いの中で…以下略」

なるほどなぁと思うんです。

僕は日本的な礼儀作法とか文法を重んじる中での自由というものを見てるわけだけど、そして確かに礼儀作法が無意識に自動的に扱えるようになると変な攻撃は受けずにストレスなく、気遣いからは自由でいられるわけだけど、

それによって損なわれているものって大きいのかもしれないなと。

変な音を出して他者と不協和音を作る中にある自由は、刺激と創造性が高そうだなと、新しい可能性を感じたのでした。

少なくとも僕が意識したことのない種類の自由だなと。

その後、お笑いをディスった問題でワイドショーにまで取り上げられるようになったわけですが、

茂木さんはその後AbemaTVに出演してウーマンラッシュアワーの村本さんと2時間に渡って、日本と海外のお笑いについて語ってるんですね。

その後、松本人志のワイドナショーにも出演して、パンチを受けたりキャラを使ってかわしたりしている。

批判した対象から逃げずにむしろ近づいていくんですよね。

これが彼の言う間合いであり、その中に現れてくる自由と刺激(ヒヤッとするような緊張感も含めて)の価値は、彼にしか分からない質のものだろうなと思うんです。

だから、今回の茂木さんの言動を見て「やっぱりああいう発言はダメだよね…」というのは違うんですね。

それだと逆なんです。より強いピア・プレッシューの中に自分を絡め取ってしまう。

批判しておいて決別もせず屈託なく近づき対話を深めたり、パンチをよけるつもりがめった打ちに合ったり、謝って反省したりしながらもまた節操もなく自分の意見をツイートし続ける茂木さんの在り方に、自由と希望を見ないといけない気がするんですね。

僕は100万部を超えるベストセラーとなった「嫌われる勇気」にはあまり感銘を受けなかったのだけど、茂木さんの行動の中に立ち現れている嫌われる勇気と自由にはとても励まされるんですよね。

心を開放してくれる感じがするんです。

ここ最近の僕は人生が安定し過ぎて、飽きてしまったような妙な感覚に包まれていたのだけど、

今後進むべき僕の未開の地は相手のパンチの間合いや、パンチを打った時に生じる懐のスペースあたりにあるんじゃないかと考えたら、なんだか元気が湧いてきたんです。

もっと打たれないとね。