以前書いた記事『氷室京介 LAST GIGS 前編 天の采配』の続きです。
氷室京介の引退ライブ『LAST GiGS』に行ってきました。
京セラドーム(旧大阪ドーム)に来るのは何年ぶりでしょうか(たぶん学生の頃にエアロスミスのライブに来て以来20年ぶりくらい) 会場に入り、右往左往しながら自分の座席を見つける。
周りは同年代の男性が多い。
開演の時間が近づくに従って徐々に期待が高まって、会場のボルテージが上がっていく感覚がたまらない。
氷室京介を求める数万人がドームの中で巨大な集合意識を形成していて、そのエネルギーに自分を同化させると高揚感がふわっと広がる。
気持ちが良い。
なるほどなと思う。 ライブとはこういうことなんだな。
ステージのアーティストが豆粒ほどしか見えなくてもそれは大した問題ではなくて、それよりもそこにいるファンたちの集合意識と溶け合わさり一緒に高揚してアーティストのリズムに合わせて大きな1つになっていくような意識の拡張体験。
それがとても独特なんだな。
そんなことを考えつつ会場で待つ。
隣の同年代のお兄さんもそわそわしている。 会場のボルテージが徐々に高まり、皆の手拍子が始まる。
そして高まりきったところで、氷室京介登場。
何事も無いかのように普通に歩いて出てきて、 「おら!行くぞ!大阪ぁー!」とシャウトし、数万人がそれに応え、会場が一気に熱狂し、イントロが成り響く。
こうして20年来のカリスマとようやく場を共有することができたわけだ。
大きなモニターに映し出される彼を見ていると、 どの角度から見ても完璧にカッコ良すぎて、笑いが込み上げてくる。(完璧なものを見ると笑いが出ると言ったのは太宰治か)
なんなのだろう。この人は。
衰えどころか、逆に極まっているのではないか。
数万人をまとめ上げて煽っている姿を見ていると、これは人なのか?という気さえしてくる。
20年以上前の、もはや懐メロと言っても良いはずのBOOWY時代の楽曲が、 『ONLY YOU』や『マリオネット』が、普通に今、現在形でかっこ良い。
なんなのだろう、この人は。
完璧にロックの化身のようになった姿を見て、彼が周りの期待に晒されながらも頑なにBOOWYの再結成を拒んだ(というよりも意にも介さなかった)理由が少し分かったような気がした。
ここまで研ぎ澄ますことが彼の仕事の基準であるならば、それは無理だなと感じた。 自分の心に、過去を懐かしみ友情を尊重するような思いに居場所を与えるならば、 それはもはや「人間の仕事」となり、このような神々しい研ぎ澄まされた存在感は纏えないだろう。
彼が忠誠を誓っているのは、そこでは無かった。
氷室京介というイデア(ロックの表す美学のようなもの)に忠実であろうとするならば、自分と同じ過去を過ごした同郷のギタリストと共にステージに立つことは不可能だ。 その途端に人に戻ってしまうから。
なるほどなと思う。 ある種の意識の在り方を選ぶということは、他の何かを選ばないということでもある。
そして明確に意志を持って選択し、忠誠を誓う者は神に愛される。
そんな忠実な人間にイデアは(神の形象と言っても良いし、アーキタイプと言っても良い)は立ち現われる。
彼はずっと忠実だったのだろう。
「引退する」と言うはずが、思わず「氷室京介を卒業する」と言ってしまったことを彼は、「脳が酸欠でおかしなことを言ってしまった」と言い訳していたが、
それは意外に正確な表現なのではないかと思う。
氷室京介という存在がつながっていたイデアに忠誠を誓ってきたが、もう肉体的限界によってそれを維持できなくなったということなのだろう。
それにしても30年だ。 普通はそんな風には生きられない。
10代後半くらいに、彼と同じイデアに魅せられて忠誠を誓う人はたくさんいる。
生涯それ(ロック的なるもの)を生きてやると、決意の固さを自分に示すように身体に消せないタトゥーを刻んだりする。
でも数年もすれば、そこから脱落してタトゥーを隠して(あるいは消して)生きていく。
社会に迎合せねば食えない現実に直面するし、青年期を過ぎるとまた違ったアーキタイプが自分の中から出現する。
なのに彼は50歳過ぎでも、氷室京介という特別際立ったイデアを生き続けている。
普通はこんな風にはいられない。
50を過ぎると皆「この歳だけどロックをやっています」というエクスキューズが見え隠れする。
ステージングが過去の自分のパロディであるかのような自意識が入り込む。
昔の曲は懐メロとなり、その時代を一緒に経験したオーディエンスとの共感と慰労の温かさが入り込む。
(それはそれで素敵だが) でも、氷室京介は30年前の曲ですら現在形で体現し、そこにノスタルジーの入り込む隙が全く与えない。
まったく、お見事としか言いようが無い。
帰り際、胸の辺りが温かくなっていることに気づいた。
それは不思議な感覚だけど、よく知っている感覚だった。
イデアに忠誠を誓い、それを30年以上体現したカリスマの薫陶を確かに受け取った気がした。
[…] 氷室京介 LAST GIGS 後編 忠実であるということ […]