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みんな秘境を目指している

 

昨日は21時くらいに子供と添い寝してたらそのまま一緒に寝てしまって、気づけば夜中の2時だった。

こういう時はいつも時間を無駄にしたと凄く後悔するのだけど、

昨日は気づいた。

夜中の2時に目が覚めて家族みな寝静まった中で時間が動き出す感じ。

夜が深くてちょっと憂鬱で、世の中の流れから切り離されてしまったような感覚。

この感じは映画を観るのに最適な意識状態だ。

普段からもう少し映画を観たいなとは思っていたけど、仕事をしつつ家庭を持つ父でもある日常の中では、映画を観る感覚に意識をチューニングすることが難しいと感じていた。

でも、世の中から切り離された深夜なら行ける。

そして有り難いことに今の時代、TSUTAYAに行かなくともAmazonプライムビデオでその時の気分に合わせて映画をチョイスすることができる。

これは新しい感覚だ。

ちょっと憂鬱っぽく人間の業に触れるような感触の映画を観たいなと思って、テレビのホーム画面で「邦画」を選んでタイトルをスクロールさせていく。

園子温監督の「冷たい熱帯魚」 ちょっと暴力的すぎるかな…。

「蛇にピアス」 吉高由里子のヌード見たいだけだな…。

「空海」 興味はあるけど今はそっちじゃないな…。

本当にたくさんの映画が出てくる。(これが年(月ではない)3900円とは、AmazonはいずれTSUTAYAのマーケットも奪ってしまうだろう)

結局、適度に憂鬱そうな田口ランディ原作の「コンセント」を選んだ。

そこそこに面白かった。

奔放な女の性(エロス)精神療法(サイコ)、死、シャーマニズム、そういった記号がまだ神秘的な魅力を放っていた90年代後半だからこそ力を持った作品で、

そういうのを観ていると、今の時代はエロスやサイコ的なものが放つオーラや神秘が剥がされた後の時代なんだなということが良く分かる。

それらの記号をこれ見よがしに提示して来るのだけど、今を生きるこちらとしてはもうそれに大した驚きも反応もできないので、演出が上滑りしていくように感じられる。

でも、それと同時に「あぁ、90年代なら…」と、当時の感覚を思い出して懐かしい気持ちになる。

時代は流れているし人の意識は進化しているんだなと、そんなことを感じさせてくれた。
(あるいは単に僕が歳を取っただけか)

期せずして露わになった市川実和子の華奢な裸体の美しさにも、発作的に男を求める色情にも、畏怖するべき女の性も業も感じられずただの記号になってしまっていた。

あれから随分世の中は情報化したのだ。

かつては神秘をたたえ、空想するしか無かった世界の秘境もGoogleのストリートビューにキャシュされていくこの時代。

いったい僕らが目指すべき神秘や冒険はどこに行ってしまったのか?

秘境はどこに残っているのか?

そう問えば、みんなそれぞれにそれぞれが思う秘境に惹かれてそこを開拓しているんだなということがよくわかる。

僕にとってそれは記号としての『サイコ』なものの中にあるのでもなく、海外を旅することの中にあるのでもなく、女の子のスカートの奥にあるのでもなく、

言語化できていないものを言語化することで内的世界を耕していくことと、創造性を発揮して現実を作り変えるためにリスクを取ることの中にあるんだなって。

そんなことを改めて考えたり。

映画の主題とは全く関係ないことにあれやこれやと心を泳がす。

深夜2時の映画鑑賞はとても贅沢な時間でした。

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