お盆休みは田舎に帰省して、毎年恒例のカブトムシ捕りに行ってきました。
僕のご先祖の眠る墓地はクヌギの雑木林となっていて、そこには樹液がプンプンと匂う絶好のカブトムシスポットがあるのです。
毎年夏になれば、夜中のカブトムシ捕りが僕の個人的な楽しみになっています。
そして今回、そこで捕ったのがこの立派なカブトムシとコクワガタ。
カブトムシのオス。立派なツノ。
ほんとに小さなコクワガタ。(このコクワは、翌日、姪っ子を挟んで大泣きさせる…)
田舎といえど、カブトムシやクワガタがわんさかと捕れるわけではなく、去年などは何度見に行っても一匹も捕れずに終わったので、
今回、深夜の墓地で樹液にたかるカブトムシを見つけた時は、ハンパなく興奮しました。この興奮は、子供の頃から全く一切色あせていない。
そして2日目にも、同じように車を走らせてスポットに行くと、一日目と同じくオスのカブトムシをゲットし、結局オス2匹を得る。
せっかくだからメスも欲しいな~と思ってると、僕と同じカブトムシ目当てのおじさんが現れ。顔も見えない深夜の墓地の暗闇の中で挨拶を済ませて仲良くなる(笑)
「オスが捕れへんのんや~」と言うおじさんの虫カゴにはなんと! メスだけが3匹!
そして「僕はオスが2匹なんですよ~。」と言って、交換してもらったのがこの子。
キューキューと鳴いて愛くるしい。
こうして知らないおじさんと深夜の墓地でwin-winの交換を成立させ、めでたくオス・メス1匹づつゲットすることとなりました。
ちょっといい話でしょ(笑)
それにしてもカブトムシは美しい。
このフォルム。完成された造形美。
まじまじと見ていると不思議な気持ちになって来る。このツノの造形の美しさ。サイズ感。このカブトムシという存在そのものが、人間を喜ばすためにデザインされているのではないかと思えてくる。
このツノも進化論的には敵を倒すために発達したということになるだろうけど、ハッキリ言って生存のためには無駄に目立ち、小回りもきかず、土にも潜りにくく、リスクでしかない。
実際ツノの無いメスのほうが長生きする。
クワガタと戦う時に、もの凄く巧妙に大小2つのツノを使うのだけど、それをやりたいために、こんなオシャレなツノを進化させたのだろうか?
だとしても、あまりに無駄が多い贅沢品ではないか?
そもそもクワガタとカブトムシの喧嘩というのが無駄にかっこ良くて、人間を楽しませるためのショウに見える。
神様はこの虫を人間の娯楽のために作ったのでは?
そんな無茶なことを考えたくなるほど、よくできたフォルムなのです。
持つ所あるし。
聞くところによると、カブトムシもまた人間がいないと存在できないと言います。
人間の手が加わっていない手付かずな大自然にカブトムシが育つのかというと、実はそうではなく、
カブトムシが住むのは、人間が手を入れて間引いて適度の空間ができた林であり、カブトムシの幼虫が育つのは、人間が草を刈って、それを一箇所に集めて堆肥となった土の中なのだそうだ。
人間の存在が無いと、生きられないカブトムシ。
いかにも人間に愛されそうな無駄にかっこいいフォルムを持ったカブトムシ。
絶妙に人に愛される不思議な生き物。
結局虫カゴを買って、家で育てることになりました。(子供が飼いたいと言うから~的な理由を付けて)
そして交尾して卵も産まれ、その後幼虫も育てるだろうと勝手な予測で、幼虫がすくすく育つための土も買って来ました。(気が早すぎる。)
今日も仕事を終え、カブトムシに餌をやりに家に帰る。
日に日に膨らむ僕のカブトムシ愛がやばいです。
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