夏が去って、そこに入れ替わるように秋がやって来て、
朝晩少し肌寒くなってくるこの頃の月は目を見張るほどに明るくて、
あまり熱心に見過ぎると、あっちの世界に行ってしまいそうになりますね。
夏の熱狂が過ぎ去った後の澄み切った空は、月明かりがよく届く。
「お彼岸」とはよく言ったもので、
彼岸=向こう岸
真夏のお盆の時期もあちら側のゲートが開く感じがありますが、お彼岸の時期はそことは違ったゲートが開く感じがありますね。
澄み切った空気と月明かりに照らされて、あちら側に想いをはせるのが、この時期の愉しみ。
彼岸花。
虫の声。
夜の空気。
月明かり。
良いですね。
それが本当に自分に起こったことか、それともどこからか取り込んだイメージなのか分からないけれど、
僕の中には、縁側で月を眺めて祝福していた頃の記憶があって、その時一緒にいたのが誰なのかも分からないけど、
その時の感覚をこの世でも何度も体験したいんですね。
月を見て祝福する時、懐かしいような気持ちになります。
自分の中のどれだけの生が(どれだけの存在が)喜んでいるのか。
それは僕の意識なのかあるいはご先祖の意識なのか、また別の生の記憶なのか。
この季節に月を見るとき、
私たちの中でいくつもの意識が喜び、何かとの絆を感じ、愛おしいような懐かしいような、不思議な気持ちになります。
いったい自分は誰との絆を感じているのだろう。
なぜ懐かしいのだろう。
そうやって問いだけを心に置いておくんです。
無理に答えようとはせずに。
頭を使わず答えを急がず、問いのまま心に置いておくんです。
そうすると人生そのものが、その問いの答えのように展開していきます。
お彼岸が近いですね。
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