宇佐巡礼2 大元神社編

前回の記事の続きです。

前回記事『宇佐巡礼1 宇佐神宮編』

 

宇佐神宮を思う存分に堪能して満足したので、ここで終わりにして帰っても良いんじゃないかと、

そう自分に言い聞かせていたのだけど、

でも、知ってるんですよね。

宇佐神宮には奥宮があるんです。

 

御許山と呼ばれる山の山頂にある大元神社というのがそれで、

とんでもない悪路の先にあり、めったなことでは行けない秘境中の秘境だと言われている。

先日もネットで調べたら、車が動かなくなってJAFを呼んで大変な迷惑をかけたというブログの記事に出会った。

そして、タクシーなら連れて行ってくれるとも書いてあった。

でも、タクシーでそんな悪路を進んでもらうなんてなんだか申し訳無いですよね。

 

まあ、今日は十分に満足したし、タクシー乗り場がどこにあるかもよく分からないし…と帰りのバス停に向かって歩きながら、

ふと顔を上げると、目の前にタクシー乗り場が…。

運転手さんと目が合う…あっ(笑)

 

でもまあそこまでして行くのもなあ…とそれでもスルーしてバス停に行って時刻表を見ると、バスは先程出発したばかりで、次のバスまでは1時間待ち…。

うん。分かります。

「来い!」って流れですよね、これ…。

 

気を取り直して、タクシー乗り場に行って運転手に「御許山に登れますか?」と聞くと、

お、おぬし!今何と言った!?みたいな表情になり、

「行けるけど…。時間ある?」と来た。

 

「ありますけど、どれくらいかかります?」

「…1時間半くらい。」

「じゃあ、大丈夫です。お願いします。」と話がまとまる。

 

車の中では「よく登ろうという気になりましたね。普通は一生縁のない場所です。」と、いろいろとお話をしてくれる。

「とにかくひどい道ですからね。びっくりしないでくださいね。」と。

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確かに、え?そっち?道ある?みたいなところを車で分け入って行く。

アスファルトも途中で無くなり、デコボコ道を縦揺れしながら進んで行く。

途中、運転手のおじさんの卑弥呼がここに眠ってるのでは説や、日本発祥説が興味深い。

 

悪路を超えてくれたタクシーと運転手さん。

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車が行けるところまで行ったら、あとは15分ほど歩いて山頂を目指す。

運転手さんと一緒に山道を歩く。

既に肌寒さと共に、濃厚で原始的な神気で身体がビリビリする。

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誰もいない境内に着き、「どうぞこちらへ」と運転手さんがまるで神主さんのようにお社の上へと案内してくれる。

運転手さんと一緒に拝殿の前に正座し、横並びで一緒に手を合せる。

 

太古の氣。

原始的なエネルギー。

最近は仕事の心理療法で、ファミリー・コンステレーションというワークに魅せられているのだが、

人は親やご先祖や祖国といった自分のルーツとつながって、家系に所属しなければ本来の力が発揮できないということを、そのワークを通じて見せてもらっている。

家系とのつながりが縺れたり途切れたりしていると、先祖代々が経験して養った豊かなリソース(才能、エネルギー、知恵、自信)が流れてこなくなり、弱々しくやせ細った存在感の人間となっている。

だから、それとつながり直すことで、脈々と引き継がれて来た家系のリソースを取り戻し、根を張るような逞しい自信を取り戻すことができる。

それがファミリー・コンステレーションの力。

 

そして、神社参拝も意図すれば同じことが起こる。

深く頭を下げ、この国の先人達の意識、神々の意識を敬い、そこで綿々と受け継がれてきた歴史の先端に私の命があります、と。

私はそれを受け取り、神々のリソースとつながり、それを良きことに使っていきますと、そう言う時、

ビリビリと震えるようなご神気が身体を満たし、何かが確実に受け渡される。

太古から続く神聖な意図を紡ぐ者の一員として、迎え入れられる。

 

それは一般的な神社参拝とは違って、イニシエーションのようなもの。

個人として扱ってきた力に、神々の公式のものとしての印が与えられ更なる力が付与される。

天のサポートが大きくなる。

私のような意識の仕事をしている人間にとっては特にそれが重要で、

個人の我の力ではなく、正統な天の印の与えられたエネルギーを扱うことで、

人の無意識への影響の深さが変わってくる。

 

どの神域のどの意図にどれだけ自分がコミットして所属しているか、その質と量がその人の活躍の範囲と「自信」や「才能」を決定づけているとも言えるのです。

これが人生のある側面での真実であり、精神の進化というものの大いなる秘密です。

 

神社や神々のみならず人はあらゆるものと「結び」を作り、それを束ねることで「私」というものを織りなしていくのです。

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失礼の無いよう、写真は少し離れたところから。

 

そして帰り道。

「珍しいですね。お客さんは運が良いですよ。」と運転手さん。

「ここから海が見えることなんてめったに無いんですけどね。ほんとめったに無いんですよ。」と言って車を止めてくれださった。

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更に続けて、「私も神様なんて全く信じて無かったんですけどね。あることがあって導かれましたね。本当に信じるしか無いことが起こって。

導かれますね。ほんとびっくりするくらい導かれます。」とおっしゃる。

 

「それで今は、神様の元に人を連れていく使者のようなお仕事をしてるんですね。」と言うと、

「僕はそう思ってます。」とはっきりと断言された。

 

運転手さんの過去に何があったのかは分からないけれど、人それぞれの運命があり導きがあり、

それに抗ったり従ったりした先で、天命の中にすっぽりと収まって生きる人間の謙虚さ。清潔さ。

敬意を持たずにはいられなかった。

 

帰り道は日本の古代史や神々についてのお話を聞きながら駅まで送ってもらって、しっかりとお礼を言って固い握手をしてお別れをした。

 

次は来るのは何年後になるか。

10年後か20年後か、それは分からないけれど。

必ずまた来ようと、そう思える場所になった。

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帰りの車窓からの景色。

 

良い旅だった。

神社を参拝するも、人と深く交感するも、その土地に触れるも食すも、全てが巡礼なんだな。

自分には無かった響きを自分の中に取り込み持ち帰り、また新しく出会う誰かを響かせていく。

あれもこれもそれも、人生すべて巡礼なり。

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宇佐巡礼2 大元神社編」への1件のフィードバック

  1. VVaves

    いつも楽しく読んでおります。
    自分は福岡に住んでいるのですが、
    大分の宇佐に八幡神社の総本山があるとは知りませんでした。
    今度行ってみようかと思います。

    返信

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