怒りが僕らを連れて行く

ここ最近自分の中にモヤモヤとした怒りのような不満のような塊があることに気付いていた。

2週間休み無しで仕事しまくっていたので、「もっと遊ばせろ!」と潜在意識が怒り出したか…と思ってたのだけど、

昨晩モヤモヤと向き合ってみたら違っていた。

怒りの理由は意外なものだった。

 

「お前の仕事は小さい!」

「いつまで私的な自分を生きてるねん!」

「もっと公的に国のスタンダードを作り変えるような仕事をしろよ!」と言って怒っている。

 

「全然リアルじゃない!」と。

「余裕を持ちすぎてる!」と。

 

これまでの人生、ずっと公的よりは私的に、体制側よりは反体制側を好んで生きてきた自分が、ここへ来て公的になることを求めて怒っていたのかと、それが意外でならなかった。

でも、「俺はもっと公的に社会貢献したい!」と言ってみると、確かに胸のあたりがしっくり来てモヤモヤが治まる。

と同時に自分のエネルギーがひと回り大きくなる。

もうエネルギーが来ているんだな。

 

自分を次のステージに引き上げようとする怒り。

それがもう無視できないくらいに激しくなってきている。

これを無かったことにすると、日常の様々なものがリアルに感じられなくなって、無気力になり無感覚になり、味気ない人生になっていくんだろうな。

今来ているこの流れをごまかさないように生きなければならない。

 

この怒りに従って意識と環境を次のステージに上げることが、今必要なチャレンジのようだ。

とは言え、個と個で限界まで深く向き合って変化を促すカウンセリングの仕事は、自分にとってライフワークと言えるほど大切なもので、

この実践の中で「人間とは」ということと「人生とは」ということを学ばせてもらっている。

だから日々のカウンセリングを辞めることはないだろうけど、

まずは自分のセルフイメージを公的なものに修正することからやっていこうと思う。

 

それにしても本当にただ取りこぼし無く、今リアルだと感じて楽しめることに真っ直ぐに取り組んできただけなのだが、

それだけやっているとちゃんと終わりが来て、次が来るのだな。

 

小学生が6年経つと中学生になるように、時が来ると意識のステージは勝手に次へ移行しようとする。

それに気づかずに、あるいは逆らって、中学生なのに小学生のように生きる時、人はどうやらイライラと無気力が合わさったような独特の感情を抱くようだ。

そして「人生は壮大な暇つぶし」などという偽りの悟りを得て、その達観によって人生から大人の距離を取り、あたかも自分が大人を生きているような錯覚をする。

でもそれは違う。

本人だって薄々気付いている。

大人になることは飽きて無感覚になっていくことではない。

それは自分の境界線を超えずに回避したことの症状だ。

 

本来、大人になることはとてもスリリングなことだ。

対峙する相手がどんどん大きくなり、影響できる範囲がどんどん拡大していく。

ただ自分の内側の衝動に忠実であれば良い。

内側が今リアルと感じるものに、外側を変えていけば良い。

無視しようにも、ちゃんと教えてくれる。

内側の無気力が、

イライラが、

次へ行けと言ってくる。

命を燃やすような場所へ行けと言ってくる。

それを無視しない勇気だけが問われている。

 

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怒りが僕らを連れて行く」への1件のフィードバック

  1. Hasegawa

    ハセガワ(妹) です。←なんか会社名っぽいですね。笑

    この時代、佐原先生のような方が必要不可欠だと私は思っております。先生の言う公的な貢献、とても見てみたいです(^ ^)
    「命を燃やすような場所へ行け」は、私の潜在意識も言ってます。
    このブログは、とても力が湧くブログの一つです。陰ながら応援しております。

    返信

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