mac book air を買って、windowsを手放してそろそろ3ヶ月。
ここ最近は毎日、ひとりごとのように「Macええわ~。」とつぶやいています。
本当にMacはいい。
だからこの良さをなんとか伝えたと思っていたのだけど、それがなかなか難しい。
この、良さが伝えにくいのがMacのMacたる所以と言うか。
なかなか言語化できない微細なレベルでのブラッシュアップを続けて勝負してきたのがapple社の凄いところなんだと思う。
もともと勝負しているフィールドが他社とは違うのだ。
Macもはっきり言って、できることはwindowsと変わりません。
あえて良いところを上げると、
・画面が美しい。
・反応スピードが早い。
・ハードのデザインが秀逸。
・音が良い。
それはまあ、その通りだ。
でも、Macの本当の凄さはそこじゃない。
もっと微細な差異の積み重ねによって、使う人の感性や状態にまで違いを生み出すことに成功している。そこが凄いのだ。
一番わかりやすかったのは、家電量販店での体験だった。
PCを買おうと、windowsパソコンの前に立ってモニターを見ながらいじっていたのだけど、胸のあたりが「しょぼ~ん」と閉じていくんですね。
それがmacコーナーに行き、macをいじっていると今度は胸が「ふわっ」と広がる。
この身体感覚の違いは潜在意識の反応なのだが、潜在意識が何を感じているのかをあえて言語化すると、
windows 「う~ん、なんかギラギラしてしんどいな…。」
mac「おぉ~、なんか創りたい!」
とまあ、そんな感じ。
この違いは、仕事をする道具としては決定的に大きい。
では、この感覚の違いを生み出しているのは何かというと、フォントの美しさとか、モニターの発色とか、黄金比を用いてデザインされたアイコンとか、ウインドウの周りの影の自然さとか、ウインドウを開くときの動きとか、タッチパッドの操作性とか、
もうほんと些細なことの積み重ねと相乗効果によって支えられている。
だから、言語化が難しい。
スペックに現れない違いだし、ユーザーの感覚レベルの話なので、無理に言語化すると、「Macはクリエイティビティーを刺激してくれるんだよね。」となってしまって、
結果、「マック信者!!」と揶揄される。
でも、繰り返すが、こういった「スペックに現れない違い。」「言語化できなレベルでの差異の積み重ね。」によって体感レベルの圧倒的な違いを生み出している点が、Apple社の凄いところなのだ。
これは始めてiphoneを持った時の驚きも同じ。
携帯電話にしろPDAにしろ、それをポケットに入れた時、僕らの潜在意識は小さな家電製品を持ち歩いてると認識していた。
でも、iphoneの中の写真を指でスライドさせた時、潜在意識はそこに実際の紙の写真があるかのように認識した。
電子デバイスではなくて、紙があると認識することによって生まれた安心感と身体との親和性。
それが感性に与える影響は甚大で、ついには生活スタイルまで変えてしまった。
思考の道具として、創造の道具として、スペックがどうこうではなく、人間の感性や状態にどのように作用(影響)するのかという部分が、一番重要なのだ。
そして、最初からそこで勝負しているのがApple社なのだ。
試しにヨドバシにでも行って、windowsとmacを触った時の自分の体感と頭の中の創造意欲の違いを感じてみて欲しい。
きっと驚かれると思います。
この圧倒的な違いが、
なんと今なら驚きの79400円から…(笑)
同じようなことを、茂木健一郎さんが脳科学者の立場から発言していたので、引用しました。
全くそのとおりだと思いました。
***以下引用***
コンピュータという存在が、どのように私たちの脳の感覚、認知の回路に働きかけるか。感覚と運動の連関を通して、さまざまなクオリア、情動を引き起こすか。それは、「気のせい」や「趣味」のことなんかじゃなくって、「計算」なんだってば!
マック・ユーザーを、「こけ」にするコンピュータ・オタクたちがずっといた。いいよ、Linux使っても何やってても。でも、そういうチューリング・マシンの枠内で理解できる「計算」と、異なる「計算」が、この世界にはあるんだって。
なんでそのことが理解できないかな! iPadが出てとき、まるで遊んでいるように情報を扱えるようになった。3歳の子どもでも遊べる。キーボードからラインコマンドを打つコンピュータと、それは、アルゴリズムでは等価かもしれない。
しかし、「経験の質」という「計算」においては、全く違うんだ! OSで、アイコンをどのように配置するか。ハードウェアの曲線や、手触り、立ち上がりの時の音楽。
ジョブズがやってきたことは、「趣味」の問題じゃなくて、人間の感性における、ハードコアな「計算」なんだ。それを、「マック信者」だとか言って、「こけ」にしてきたんだよね。
Googleは、ユーザーが要求した情報以外には提示しない、という哲学で一つの「経験」を提供した。一方、世間には、要求もしないのに余計なことをするソフトがあふれている。
それは、「経験」という「計算」の領域において、やってはいけないことなんだよ! 結局、ジョブズは、単なるアルゴリズムの箱という意味合いを超えた「計算」の領域を、コンピュータにずっと見て来た人だった。趣味や感性の問題じゃないんだ。そこには、緻密な計算のロジックがあるんだ。
そのことを感じた人がアップルを支持した。ジョブズは、計算の未来だった。
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