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仏像と瞑想と範馬勇次郎

以前、自分の中に唐突に仏像ブームがやって来たことがあった。

実物か画像かに関わらず、とにかく仏像の姿を目にする度に心がじんわりして、何かが共鳴して深まっていく感覚があって、自然と惹かれて行った。

そして、ヤフオクで自分に響く仏像を検索しているとすぐに、自分のスマホの広告欄のすべてが仏像に埋め尽くされるようになり、

また、その広告を目にする度に胸がじんわりと来るものだからクリックしてしまい、そうしてまた更に広告が仏像になって行く。

そんな仏像ループから抜け出せなくなって行った。

そして、実際にいくつかの仏像を手に入れて、目の前に置いて向き合って瞑想するようになった。

仏像と向き合っていると、仏が持っている形象が自分に共鳴し、自分の中の仏性が開いていく感覚があって、

そうすると欲が出て、如来系だとだうだろうか?明王系だとどんな感じだろうか?と広がっていき、徐々に部屋に仏像が増えて行った。

様々な仏と向き合っては自分の未開発な側面を開いていく、仏像とのワーク。

千手観音からは人に与える仏性を、

文殊菩薩からは知性の仏性を、

不動明王からは魔を断ち切る厳しさの仏性を、

それぞれに自分の中に共鳴させて開いていく。

そうやって自分の中のアーキタイプを活性化させていく。

そういうことをしていると、ふと思った。

これは本当に仏像じゃないとできないのだろうか?と。

例えば漫画のキャラクターの多くは人間の無意識のアーキタイプを象徴したものだ。だとすれば、もしかすると漫画のキャラクターのフィギュアでもいけるのではないか?と。

それならもっとバリエーションが増えるぞと、そんなことを思った。

そこで手に入れたのがこれ。

地上最強の生物。範馬勇次郎だ(笑)
(グラップラー刃牙参照のこと)

慈悲無きまでの強さの象徴。

これも自分の中で活性化させてみようと試しにフィギアを手に入れた。ヤフオクで3000円。

そして、向き合って瞑想して意識を合わせてみる。

すると……。

全く何も共鳴しない。

うんともすんとも来ない…。

意識を合わせても奥行きが無い感じ。

当たり前か。

やはり人の意識と何千年の縁を紡いできた仏とは厚みが違うのだな。

そうやってあっさりと結論は出たものの、捨てるのも忍びないので、とりあえずリビングに飾っておくことにした。

でも妻や娘、女子ばかりの家族からはもちろんすこぶる評判が悪く、

「これ何? 誰? メルカリで売ったら? 売ってといたげよか?」

と何かにつけて言われる始末。

その度に「あほか。地上最強の生物やぞ。国家の軍事力に匹敵する戦闘力やぞ。」

と適当にかわしてきたわけだけど、

昨晩なんとなくメルカリでこのフィギュアの相場を見てみると、1万円近い値がつくことが判明。

まじか!と、秒で決断して出品(笑)

その数時間後には買い手が付いて売れて行った。

さすがは地上最強の生物、範馬勇次郎。

最近は娘のヘアゴム置き場になっていたので(笑)

地上最強の生物としても新しいオーナーの元に行けて本望だろう。

新しい場所では、それなりの敬意を持って飾られるといいな。

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