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人生が侵食されていく

目を覚まして、コーヒーを煎れて静かな朝を迎えようと思ったら、幼稚園に行ってる娘が勢い良く帰ってきた。

冬休みが近づいたこの時期は、どうやら幼稚園も午前中で終わるようだ。

娘は一目散に僕のところに駆け寄って、ガチャガチャと変な踊りをしてこっちの気を引こうとしている。

静かな朝は一瞬でどこかに行ってしまった。

やれやれ…と僕は思う。(村上春樹風に(笑))

でも、このやれやれ…を喜んでいる自分もいる。

自分の人生が自分自身によって隅々までコントロールされてしまうことに、どこか飽きてしまっていたのだと思う。

自分の日常の小さなコントロールやこだわりが、愛する人の喜びや溢れる生命力によって侵食されていくことの心地良さを味わっている自分がいる。

やれやれ…。

この諦念の持つ心地良さこそが、僕が結婚や家庭を持つことで得たとても大きなギフトであるように思う。

『諦念』

辞書で調べてみると

2 あきらめの気持ち。

とある、そうそう。その意味で使っていた。

でも1は違った。

1 道理をさとる心。真理を諦観する心。

とある。まさかこんな意味を持っていたとは…。

もっと調べてみると、「諦念」とは元々は仏教用語で、世の中の森羅万象の全てが関係し合い、その関係の中において自分が生かされてるということを悟っている心のことを指すようだ。

なるほど確かに…。

自己というものに固執せず、全体と関係しあうことで存在している自分のあやふやさを許しているような感覚。

やれやれ…。という精神的境地は思いのほか高いかもしれない。やれやれ…。

 

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