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世界がどうにも早すぎる

速度

昨日の14時にネットで注文した住所入りのハンコが、今朝9時に届いた。

求めてる以上に早すぎて正直ちょっと、引いた…。

もちろん嬉しいけど、こういうのがスタンダードとなって、当たり前に要求される世の中って果たして幸せだろうか?

顧客の満足を追求しすぎて、働き手の満足が犠牲になってなければいいのだけど。

昔々、旅行でカナダに行った時、カナダのバーでビールを注文しても、出てくるのが驚くほど遅いというエピソードを日本人ガイドさんが話してくれた。

ある日本人のアルバイトが素早く仕事をしたら、仕事が早すぎて逆に怒られたのだそうだ。

「お前がそんなに早く仕事したら、周りのみんなも早く仕事しないとダメになるじゃないか! 自分勝手なことするな!」と。

それを聞いて僕ら日本人観光客はゲラゲラと笑ったし、そのバスの中で僕が読んでいたのは「Getting Things Done(GTD)」という今では有名になった、ワークフローを最速化する仕組みについて書かれた本だったのだけど(笑)、

あれから10年近く経って、日本の労働環境の凄惨さに触れる度に、あの時は笑ったけど、あのカナダ人の考えの方が実は正しかったのではないかと、何度となく思い出すこととなった。

僕らは誰しも、お客であると同時に働き手でもあるからだ。

お客の権利や満足ばかりを追求して、働き手の満足が犠牲になっているとしたら、それは廻り回って自分の働き手としての側面(つまり大部分)をも不幸にしていくだろう。

だから理想を言えば、顧客の満足と働き手の満足のちょうど中間点でバランスさせることが、社会全体の幸福度を高めるのだと思う。

自由競争社会ではもちろんこんなこと言ってる訳にはいかないことも分かってるつもりだけど、

全体の幸福を考えたら、ハンコが届くのもAmazonの本が届くのも3日かかるし送料も取られるけど、運送屋の兄ちゃんが季節を感じながらのびのび笑顔で働いてて、少々のミスをしてもお客が笑って許してくれる世の中のほうが絶対に幸せですよね。

僕らも一方で、というより大部分は働き手として生きているわけですから。

お客様は神様だ! もっと早く! もっと安く! と競争しまくった結果、働き手としてのお父さんお母さんは時間に追われて疲弊して、逆にまだ社会の中でお客の立場でしかない子供達は物に溢れすぎてありがたさを感じられなくなっていて、そしてやがては悲惨な働き手となるであろう自分の未来を恐れている。

消費者としては異常なほど優遇されて、働き手としてはとてつもなく過酷で冷遇される。

それがグローバル化した今の日本のいびつな姿だと思う。

「お前がそんな早く仕事したら、周りのみんなも早く仕事しないとダメになるじゃないか!」

カナダ人のバランス感覚は正しい。

どんな仕事にもそれを楽しいと思えるような、ちょうど良いスピードと分量というのがあるものだ。

そして働き手にだって、その楽しさを守る権利くらいあって良いではないか。カナダ人にはそういう当然の感覚があったのだ。

でもまあ、現実問題としてはグローバル化した世界全体の競争を止めるのは無理だろう。カナダ人だってあれから10年経って、前のようにはいられなくなっているはずだ。

だから過当競争、価格競争、高速化で自分の首を締めていく大きな円環の中から上手に抜けだして距離を取り、違うパラダイムで生きる方法を提示できないかと模索しているのだけど。

それがなかなかね。

最近、そんな世界の可能性ばかり考えています。

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