人類が誕生したのが今から600万年前。
そして、エジソンが電球を発明したのが、今から150年ほど前。
そう考えると、人間が電気の光の元で生活するようになったのは、人類の歴史の中の実に0.0025%にすぎない。
では、残りの99,9975%の歴史において、人類はどのような夜を過ごしていたのかと想像すると、
それはもちろん、
夕暮れとともに、世界全体が暗くなっていったのだろう。
火はあれど、世界の大半は闇だったのだろう。
黒で塗りつぶしたような完璧な闇も、もっと身近だったのだろう。
では、そんな闇の中で人間はどのように暮らしたのだろうか?
今で言うゴールデンタイムに、テレビもなく火と月と星と闇の中で何をしたのだろうか?
宗教的な儀式もしただろう。セックスもしただろう。
でも、それ以外は?
いったいそれ以外の時間に、私たちの祖先は何をしていたのだろうか?
その語られない時間の中に、人類の精神史があるように思う。
時々私の無意識が、「世界が明るすぎる! 騒々しすぎる!」と言っている時がある。
無理もない。この脳は、明るい夜に馴れていないのだから。
そういう時は、闇の中にロウソクの火を灯して、何もせずに過ごすようにしている。
すると、闇と火に感応して、意識のチャンネルが変わるのがわかる。
600万年の歴史がありながら、使われていなかったナイトヘッドが覚醒するのだ。
脳の中のあるスイッチがオフになり、代わりにまた別のスイッチがオンになる。
精神的な時間だ。
600万年、脈々とつないできた人類の精神史。そしてここ100年ほどはすっかりご無沙汰になっていた精神史につながる。
「あー、これこれ。」と、やけにしっくりと来て、心があるべき場所に着地していく。何かが満ち足りてくる。
もうどうしても、電気を付けたくなくなる。
こうしてしばらくすると、随分違ったモードの自分を発見するのだ。
内省的で自分自身にしっかりとつながっている感覚。
感情も思考もOFFになり、魂が充実してくるような感覚。
私たちの脳は闇を見たがっているのではないだろうか。
闇と共に機能するモードが確実に私たちの脳の中にある。
その証拠に、翌朝の目覚め時の癒され方が全く違う。
「闇」を「光ではないもの」として扱うのではなく、寝る時間として扱うのでもなく、闇を主役に、闇を眺めて、闇の中で過ごす。
私たちはそういう時間を無くしてしまったけど、どうやら脳は今でもそれを求めているようだ。
でも、くれぐれもロウソクの火には気を付けて。
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