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日本人の私とは誰か

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去年の夏、ある女性がカウンセリングを受けに来られた。

セラピーや霊能の世界で高名な方で、たくさんの人脈をお持ちなのに、なぜか車で3時間もかけて、他府県からいらしてくださった。

最初、その理由が自分にはわからなかった。

良いセラピストや霊能者なら、人脈の中に沢山お持ちだろうに、なぜ私なのか?

私が伝えることが何かあるのだろうか?

よくわからないままセッションを進め、終わる頃には次回の予約を取りたいとおっしゃる。

もう一度、往復6時間も車を運転して来たいという、その意図は何なのだろう…。

それが全くわからなかったのだ。

しかし、3回目のセッションが終わる頃に、その謎は解けた。

セッション後のちょっとした雑談から、戦争と日本の精神性の話題になり、お互いに心を震わすようなやり取りをすることとなったのだ。

そして、彼女は日本人が無くした隠された歴史について熱く語り始めた。

私に伝えることがあるのではなかった。

彼女の方こそが、この話を私に伝えるためにクライアントとしてここに来ていたのだ。

腑に落ちる感覚があった。

そしてそれを語り終え、彼女は私にいくつかの宿題を与えて、お役目を終えたのだろう。セッションは終結となった。

ちょうど同じ時期、主催のプレゼン練習会に、オーストラリア人が飛び入りで参加したことがあった。

せっかくだからと即興でお話しをお願いすると、少し照れながら少し緊張しながら、そのオーストラリア人は自分の生い立ちと仕事について語ってくれた。

それを見て、深い目と着地した空気感を持った人だなと思った。

日本人の私にはない存在感。この違いは何なのだろう。

特に何かを成した人ではない。普通のオーストラリア人が緊張しながら自己紹介しているのだ。

でも彼にあって私にはないもの。私にある軽薄さ。

その正体は何なのか?

そう問えばすぐに答えは閃いた。

それは民族としてのアイデンティティや、ルーツとのつながりの太さの違いなのだと。

こうしてこのオーストラリア人によって「日本人としてのルーツ」というキーワードが心に現れていた同じ時期に、先の女性クライアントは、同じテーマを投げかけて去っていったわけだ。

自分の目と感性で日本人の精神史を掘り起こし、祖先たちの誉れ高き真実を知りなさい。

そして、それを自分のアイデンティティーに再接続しなさい。

そうしなければ、いくら知識をまとっても経験を積んでも、あなたは軽薄な根無し草ですよ。

もし、天が私を導いているのだとしたら、そう言っているような気がした。

そこで、戦争を資料映像で見てみようと早速DVDを買った。

毎年、戦争についていくつものドキュメンタリーやドラマや映画が放送されるが、私はそれをあまり信用していなかった。

敗戦によってヒューマニズムの観点から捉え直された歴史は、感動するが、深い部分では全く違うと感じていた。

だから、現代の観点から意味付けされる前の資料映像から、実際にそこで動いている当時の人の体の使い方や表情やエネルギーから自分の感性を使って読み取るしかないと思った。

そうやって資料映像を見ていくと、私が知っている日本とはまるで違う日本がそこにあった。

今の私たちにはなくて、あのオーストラリア人にあったルーツとのつながりから出てくる落ち着いた振る舞いが、当時の日本人にはあった。

まったくブレのない体の軸と端正な表情。

これはあとからヒューマンドラマとして焼き直された、強制された出陣ではなくて、国を背負い日本国民というアイデンティティーを背負うことの誇りと気位の高さを表していた。

一方で土着で野蛮で狂信的な、戦争の熱狂があった。

重苦しい黒いエネルギー。

ある神道家が戦時中を黒龍のエネルギーに支配された時代と言っていたが、あながち間違いではないなと感じた。

そして、DVDの巻を進めて、終戦に近づくと、終戦の巻だけ何度見ても眠ってしまうことに気づいた。

4回くらいチャレンジしたと思うのだが、どうしても途中で眠ってしまって、記憶が曖昧になってしまうのだ。

自分の潜在意識の中に、終戦に対する大きな抵抗があるなと感じた。

なんだろうなと考えている時、ふと、なんとなく「昭和天皇の玉音放送ってどんなことを伝えていたのだろうか?」と疑問が芽生えた。

玉音放送とは、敗戦を伝えた天皇の肉声による初のラジオ放送だ。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び。」という有名な一節は知っていたが、いったい全文はどんなものなのだろう?

なんとなくそれが気になった。

そこでネットで検索するとすぐに出てきた。

訳文と、天皇の肉声入りで。

恐る恐る聞いて、内容を読もうとすると、

その祝詞のように読み上げられる天皇の言霊に触れて、胸が熱くなってこみ上げるものがあった。

そして、涙が流れてくる。

それには自分でも驚いた。

何に泣いているのかわからないのだ。

涙を流しながら、私の潜在意識の奥底ではいくつかの意識があった。

「そうか、負けたのか。」という思いと。

天皇の霊格を慕う意識と。

そして、日本の深く優しい心根に対する愛情と。

潜在意識の中には自分の思いだけではなく、先祖代々の思いが残っているというのは、セラピーでよく体験していた。

でも、自分の中に、戦争に負けたことを受け入れられなくて、戦前の思想を持ったまま存在している先祖の思いがこんなにも強く残っていたのかと驚きだった。

そして、次に出会ったのは、「国民の遺書」という本だった。

特攻隊の人たちが家族に残した手紙を綴ったものだ。

編集した小林よしのりも書いているが、そこにあるのは、当時の若者の戦争への悲しみよりも、祖国を背負う気高さや誇りのようなものだった。

この本は涙なしでは読めなかった。

読むたびに泣きすぎて目が腫れて大変だった。

自分が生きた美しき瀬戸内の海と山。

この美しき祖国を愛し、この景色を子孫に残すために、自らの命を捨てようと決意した人たちがいて、その国土に自分が生きていたということを理解して、ひざまずきたくなるような衝動に駆られた。

嬉しかったのだ。

自分が生きた景色は、先祖たちが命がけで守ろうとしたものだった。

何かが自分の中でつながっていく感覚がした。

潜在意識の中で恥ずべき過去として切り離した先祖代々の「思い」としての歴史が、つながり直されていく感覚がした。

自分の身体感覚にも軸が取り戻されていく感覚があった。

こうやって自分の中の日本人としての精神史や歴史性を取り戻していく作業はまだまだ始まったところで、これからも長い時間をかけて続いていくと思う。

潜在意識の中の先祖の思いと共に、

終戦記念日前後になると、毎年自分は深くなる。

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