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記憶の上を走り回る子供達

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田舎に帰省して、子供達と外で遊んだり、大人も子供も入り交じってwiiをしたり、いつも通りの平和なお正月を迎えている。

都会育ちの子供達には、狭く入り組んだ田舎の路地は珍しいらしく、冒険するみたいに嬉々として走りまわっている。

お気に入りの場所を見つけては、それを自分たちの秘密基地にして、隠しごとをすることが楽しいのだろう。

彼女達の遊びを遠目に見守りながら、自分もかつてはそのように冒険と秘密に満ちたものとしてこの路地を見ていたことを思い出し、懐かしい気持ちになった。

田舎の路地で遊ぶというのは、綺麗に区画整理された住宅街で遊ぶのとも、遊戯目的に作られた公園で遊ぶのとも、また違った種類の想像力を使うものだ。

子供の頃の僕もただただそれが刺激的だった。

今日は子供達と路地を散歩しながら1つの空き地を目指した。

そこは僕が小学校4年生の時に、半年の間だけ住んだ借家があった場所だ。

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今はもう取り壊されて空き地になっているが、古びた平屋が確かにそこにあった。

僕ら家族は新しい家が建つまでの半年間、そこで暮らしたのだった。酷く狭いお風呂にすし詰めになりながら、外と変わらない寒さのトイレに凍えそうになりながら。

この時期の記憶は今でも特別なものとして深く残っている。

テレビでは『笑っていいとも』が始まった時期で、僕はそれを見ながらこたつの中で昼寝してしまい、起きた後に後悔するというパターンを冬休みの間中、毎日のように繰り返していた。

昼寝から覚めると薄暗い部屋に一人で、時間の感覚も無く、世界から切り離されてしまったようななんとも言えない不安と虚しさを覚えたものだった。

今日は子供達とその空き地を歩きながら、この辺りにこたつがあって、ここで寝ていたのだ、この辺り一人虚しく落ち込んでいたのだと、丁寧に当時のことを思い返そうとしてみた。

ここにあったはずの薄暗い部屋を思って記憶に意識を合わせると、当時の陰鬱な感覚が一緒になってありありと呼び覚まされてくる。

でも、もうそこに家は無く、今は名前の知らない雑草が元気よく伸びている。

私は心理療法家だから、仕事の技術を使えばこういった陰鬱な過去の記憶も、前向きなものに書き換えることができる。それは比較的簡単なことだ。

でも、今は無き借家の記憶とともにあの憂鬱がそのまま心の底にオリのように残っていることも、それはそれで良いのではないかと、そんな気もした。

そして、そんな僕の考えなどお構いなしに、子供達はその空き地の上を無邪気に走り回る。草に触れ土を踏み嬉々として走り回る。

まるで僕の記憶を上書きするみたいに。

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