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訓練を介さない楽しみとは本質的に退屈なものだ

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「あんた、そんな若い時期から冷めてたら、私くらいの歳になったら何の感動も感情もなくなるよ。何を読んでも、なんにも思わないんだから。」と言ったのは高校時代の国語の恩師。

当時僕は17歳で、先生は40代半ばだっただろうか。

歳を取ると感性や感情が摩耗していくんだと知って驚いた。

そして、最近になってそれを思い出すのは、僕も30代後半にさしかかり、その言葉を実感することが多くなってきたからだ。

感性や感情がすり減ったわけではなく、大概の事は経験を終えて飽きてしまったのだと思う。

まず映画やドラマなどのフィクションにほとんど興味を持てなくなった。

どんなに危機的状況だとしても、どうせ地球は救われるのだから、まあ、大丈夫だろうと。

次に物欲が無くなった。

街に出ていろんな目新しい商品を見ても、「へ〜」と思うだけで「欲しい!」とはならない。素晴らしい商品を持つことは素敵だけど、持たないことはそれ以上に爽やかだ。

本当に何も無くなったなぁと思う。

そんな歳になった今でも変わらず魅力的であるのは、仕事(つらいことも多いけど)や文章を書くこと(苦悩もするけど)や音楽の演奏(ひどいものだけど)くらいだ。

そして思い出すのは、次の言葉。

『訓練を介さない楽しみとは本質的に退屈なものだ。本質的に退屈でないものの楽しみとは、訓練によって得られる。』

村上春樹

ほんと真理だなと思う。

訓練を積んで、去年できなかったことができるようになり、表せる表現に幅が出てくる。

知識と経験を積むことで、若い時には見えなかった奥行きが見えてくる。

そうやって扱える世界を拡張して行かないと、歳とともに世界は味気なく縮小していくようだ。

急がねば。

人生に退屈しないために、去年見えなかったものを見るために、訓練を積まねば。

 

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