少年Aの「絶歌」出版について思うこと 〜被害者と加害者の絆について〜

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神戸児童殺傷事件の少年Aが本を出版したことが物議を醸しています。

彼にしか書けないのだから出版には大きな意義があるという意見や、遺族への配慮が成さすぎるという意見や、表現の自由は守られるべき…。少年法の陰に隠れて匿名で印税を稼ぐのは卑怯、などなど。

それらの意見はそれぞれの立場において一定の正しさがあると私は思います。

だから、改めて1つの立場を選んでその議論に参加しようという意図は無いのですが、心理療法家として遺族の癒やしという面から、言っておきたいことがあります。

私が心理療法を学ぶ中で最近最も驚いた法則は、

自分の家族の誰かが殺された場合、その家族を殺した加害者は、自分の家族の一員として迎え入れられることになる…、というものです。

なぜ加害者が被害者家族の一員にならないといけないんだ!?と思うのだけど、どうやらそれが法則のようなのです…。

殺害によって生じた空白は何かが埋めねばならず、それは心理的に加害者を家族の一員に迎え入れることでなされるのです。

殺人によって破壊された家族の痛みは、加害者との絆によってしか本質的には癒されえないのです。

だからこの神戸児童殺傷事件の、2人の被害者の両方の遺族が20年近い歳月をかけて、

共に少年Aの更生を願うようになり、

彼のこれからの人生を、まるで親心のように大切に思えるようになっていったことは、癒しのプロセスが正常に働いている証拠でした。

それだけに、今回のことは残念でなりません。

本の出版に関して、言論の自由がどうとか、それはまた別の話です。

長い歳月をかけて進めてきた癒しのプロセスと絆を、もう一度改めて破壊した「暴力」が問題なのです。

ここはできることならば2,3発ぶん殴ってやるべきところですね。

「馬鹿者が!」って、「この親心が分からんのか! もうどうしたってお前は俺の息子なんだ!」って。

なんならボッコボコに。

変な話ですが、癒やしの方向はそっちなんですね。

今回のことで親心は踏みにじられたのです。

多くの子供が思春期にやるように、親心は裏切られたのです。

でもそこで改めて怒り心頭となり、ぶつかり合うことでこの経験は糧となり、親子の絆はむき出しになり、そして深まるのです。

どうしようもないバカ息子と、その更生を願う親との絆が、深まるのです。

裏切られたと傷つくのではなく、愛ゆえに怒りぶつかって行く。

本当に変な話ですが、癒しの方向はそっちなんですね。

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