楽しかった連休が終わった。
連休と言っても結局仕事を入れてしまって実質2日ほどだったけど、それでも今年のお盆休みはとても充実していた。
何をしてたかと言うと、
・クワガタ捕った。
・カブトムシ捕った。
・カエル捕った。
・アブラゼミ捕った。
・ザリガニ捕った。
・どじょう捕った。
・野生のヘラブナに餌やった。
・でっかカメ捕った。
・オニヤンマ見た。
そう。自然の生き物達と全力で遊んだ。
捕まえようと真剣勝負に挑んで、捕まえたら「おお~!」言うてその素敵なフォルムを見て触れて祝福して可愛らしさを愛でて、また自然に返す。
この2日間はそんなことばかりしてた気がする。(あと子供たちともわしゃわしゃ遊んだ。)
そして今年は何もかもが上手く行った。毎年こんな風にはいかない。(ここ数年はカブトムシに会えなかったし)
今年は本当に運が良かった。
特に家の前でオニヤンマ(トンボの王様)を見た時は感動した。
道の真ん中を真っ直ぐに飛ぶオニヤンマの存在感。
僕のすぐ目の前をゆっくり通って、そして通り過ぎたらUターンして、また僕の目の前を通ってくれる。
まるで「ここにいますよ!」と言うかのように。
昔よく見たオニヤンマも僕が中学生になる頃には全く見なくなっていた。
原因ははっきりしている。裏山にダムができて、オニヤンマのヤゴが育つ川がコンクリートに覆われたからだ。
でも、それから数十年して、今年、オニヤンマを見た。
兄と一緒に「おお~。久しぶりに見たな!」と言い合った。
そして何度も何度も戻ってきては目の前を通る姿を、その度に「おお~!」と言いながら2人して眺めた。
心の友に30年ぶりくらいに再会した気分。
とにかく嬉しかった。
ありがとうと胸がじんわり熱くなった。
分かった。ありがとう。分かったよ。ありがとう。そんな想いが溢れてきて、そしてしばらくしてオニヤンマはどこかに去っていった。
心のとても深いところが満たされた。
変な話だけど、喪われていた何かが取り戻されていく気さえした。
そして、盆休みが終わり大阪に帰ってきて、目が覚めたら身体が重くて力が入らなくなっていた。
なぜだ?
気分も重い…。
休み中、調子に乗ってはしゃぎすぎたか? 食べ過ぎか? 戦争のドキュメンタリーを見過ぎたか? 雨の低気圧のせい?
はっきりとした異変だったけど、考え付く原因はどれもしっくり来ず。
夕方になって、なんとなく納得感のある答えが出た。
それが、これ↓
■「会社に隕石を落とす方法教えて」 連休明けを恐れるサラリーマンの悲鳴がネットに殺到
(キャリコネ – 08月17日 11:40)
https://news.careerconnection.jp/?p=15338
みんなの集合意識が連休明けで憂鬱だったんだな。どうやら僕はそことしっかりとつながっていたようだ。
でも、そのお陰で盆休みは皆の集合意識のウキウキに引っ張られて楽しんだ。
いつもよりはパーッとはじけられた。
昔は世間とは違う日を休みにするような天邪鬼な人間だったけど、今は同じタイミングで休みをとって集合意識のウキウキと一体になって遊ぶのが本当に楽しいなと思う。
それは1人では決して成せない悦びなのだと気付いた。
同じように自然とつながって遊ぶのも楽しい。普段使わないような心が満たされて、優しい気持ちになる。
また今年は戦後70年ということで、戦争のドキュメンタリーをたくさん見て、その当時の日本人の思いに意識を馳せて、その記憶にもつながった。追体験した。これはこれで、「楽しい」とは違う正解感があった。
時代は関係ない。人間か動物か非生物かも関係ない。
意識でつながること、コミュニケートすることが今の僕には最高に楽しい遊びだ。
ワクワクする。
人はどんな対象ともつながることができるし、相思相愛になることができる。
丁寧に庭を手入れすることで、草木と相思相愛になる父。
丁寧に手洗いすることでお気に入りの洋服と相思相愛になる女の子。
捕まえては愛でて、放し、また捕まえて、そうやって遊ぶことで自然の生き物と相思相愛になる40歳男…。
オニヤンマとも、植物とも、人間の集合意識とも、戦争の歴史とも、過去の記憶とも、お気に入りの家具たちとも、人は何とだって相思相愛になれる。
そして、相思相愛のものたちに囲まれたその人の空間はふわっとしていて優しく、「私もそこに住みたい!」と誰かが手を挙げる。
そして気付けば、無邪気な子供たちがたくさんいて、
嬉々としてそこを走り回るようになる。
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