みなさんこんにちは。
大阪は曇です。夏が来たのかと思えば、どうやら梅雨の中休みだったそうですね。
でもこれが通り過ぎると、本格的な夏到来です。僕は夏になったらアホになって遊ぶと決めていますので、今からワクワクしています。
さて、今日は生活習慣のお話しです。
実は最近僕はこれまでの生活スタイルに大きな変更を加えました。
朝のカウンセリング枠を完全に無くしてしまったのです。そしてその時間を自分の精神活動に使うことにしました。
これは正直、かなりの勇気のいる決断でした。でも収入より精神活動の方が大切なのだと、ようやく思想面だけではなく、行動面にもそれを現したことになります。
文章の執筆や、創作、瞑想、一日の計画、めだかや金魚の世話、ゆったりとした朝食、家族との会話。
昼のカウンセリングが始まる14時までは、そういったゆったりとした時間にすることにしたのです。
そうすることで深い自分とのつながりが密になり、とても心が穏やかになりました。
生活のリズムと自分の内側に起こっている情緒の波が調和してきたのでしょう。まるで「正解!」と身体の奥から聞こえて来そうなほどに馴染んでいて自然です。
そして最も驚いたのは、朝の目覚めが喜びと祝福に満ちたもの変わったことです。
というより、そうなって初めてこれまでの自分が、朝の目覚めと共に呪詛のようなものを吐いていたことに気付きました。
「もうこんな時間か…。う~ん。」とか
「ふ~、仕事行かないと…う~、めんどくさいな…。」とか、
その先の言葉は言語化しないものの、僕の無意識は毎朝小さく世界に呪いをかけていたわけです。
そのことに気付きました。
それが今では、穏やかな喜びと期待とともに朝を迎えることができ、呪詛は祝福に変わり、僕はこの生活の被害者ではなくなりました。
大げさに言うとそういうことなのだと思います。
朝には朝の意識があって、朝の自分にだけ入っていける想念世界がある。昼には昼の意識があって、夜には夜の意識がある。
もちろん人間として社会生活を営んでいる以上、朝だ昼だと四の五の言わずに片付けなければいけない仕事がある。それは仕方がない。
でも一方で、僕らは人間である以前に動物であり自然の一部でもある。その僕の中の自然は地球と太陽と大地と季節と互いに影響し合いながら、自分もその大きな円環の一部分として、毎瞬毎瞬在り方を変えている。
そういう自然の一部としての自分を、もっと多く生きたいと思うようになったのです。
社会生活の達人を目指す努力は楽しいけど、それはあくまでゲームにすぎない。だからそれに熱中する一方で、自然の一部としての自分の生命にも目を開いていたい。
そんな思いの1つの現われとして、生活をダウンシフトし、朝は朝、昼は昼、夜は夜の在り方をしようと思いました。
そうすると、自分の中の自然が喜び、期待と祝福をもって目覚めることができるようになったわけです。
これから更に、この方向を極めて行くと、どういう生き方になるのだろうか?
そんなことして、家族を食わせていくことはできるのだろうか?
逆に相当な仕事力が求められるのではないか?
いろいろ思うことはありますが、少なくともそれは探求するに値するテーマだと思いました。
こうやって自然としての自分、動物としての自分を生かす生活を、これからも模索していきたいと思います。
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