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刃を研ぎ、種を撒き続ける

先月から、主催のワークショップで自己啓発書の名著『7つの習慣』をテキストに取り上げ、自分の仕事や人生を見つめ直すことに皆で取り組んでいます。

これをきっかけに、私も改めて自身の仕事の生産性やパフォーマンスを高めるための取り組みをはじめました。

習慣形成の3つの輪(知識ースキルーやる気)をそれぞれに拡大して螺旋状に成長させていくと、パラダイムシフトが起こって、違う高みへと進んでいける、というような話を受けて、今それに取り組んでいるのです。

実際にやっている仕事そのものはとても地味なのですが、その地味な作業の継続によって螺旋状に高まって、いつかは世界にインパクトを残せるような大きな仕事ができればいいなと、そんなことを思っています。

そして今は幾つもの新しいプロジェクトをスタートさせながら「結果を見守る」というようなこともやっています。

ひとまずたくさんの種類の種を撒いてみて、元気に芽が出るものは鉢に植え変えてやる。芽が出ないものは捨てる。そしていくつもの鉢植えに同時進行で水をやりながら、さらに元気に育ち自分に使命感を感じるものはしっかりとコミットしてヴィジョンと志を掲げる。

そんな感じの仕事の仕方です。

そうやって複数のプロジェクトを同時に進行させるのはスケジューリングが難しいなと思っていたら、AKB48の秋元康氏はなんと常時100くらいのプロジェクトを同時進行させているそうです。

『AKB48』という成功も、数100の種を撒いたうちの大きく育った1つなのですね。決して最初からそれだけにエネルギーを投資していたわけではない。

種を撒き続けることが大切ということですね。

頭の中であれやこれや先をシュミレートしても時間の無駄で、とっとと世の中にそれを問えばいい。つまり行動して種を植える。あとは市場が判断してくれる。

スピードの早い今の時代は、綿密に市場調査したり戦略を立てるより、種を撒きつつ、育つのを見守りつつ、その局面に応じて戦略を練っていくほうが面白いしリスクが少ない。

ということで、自分の知力、体力、生産性、表現力。それらを日々どんどん高めて、面白い企画やプロジェクトをどんどん形にして行ける大人でありたいですね。

私の勉強会のメンバーの皆さんには、そうあって欲しいと思っています。

たくさん学んで、お互い高めて行きましょう

太陽と水草とサプライズ

先日、近くのホームセンターで水草を買ってきて、ベランダの水瓶に入れて育てていました。

これがなかなか気持ちが良い。

水瓶に浮かぶホテイ草の写真

初夏の日差しが水草の葉を照らす感じには、なんとも言えない瑞々しさがありますね。

「あぁ、癒しやなぁ~」とか思いながらボケ~っと眺めていたら、よく見ると水面近くを何かが泳いでいる。

ボウフラ?(蚊の幼虫)と思ったけど違う。

ものすごく小さいけど魚だ。

おそらくメダカの赤ちゃんですね。

買ってきた水草にメダカの卵が付いていたのでしょう。それが孵化して泳いでいる。

このすばらしきサプライズ。

なんだかとても嬉しくなりました。

そしてその小さな命を目で追ってると、癒される癒される。可愛いい。

この静かな幸福感はなんだろう。

太陽と日差しとそれを照り返す緑の葉と、そこで育まれる生命の躍動。

そしてそれを見る自分に沸き起こる感情。これはもともと自分に備わっていたものだろうか。

人間はこの生命の循環の中で唯一、他の生命を祝福する力を与えられた存在なんだなと、そんなことを思った。

ブログはじめました

37歳の誕生日である今日、自由と開放感を持って生きるために、このブログを開設した。

無料のブログサービスを使うかどうか悩んだ結果、わざわざ新規ドメインを取って、今勢いのあるWordPressを使うことにした。

無料で手に入る人気のブログシステムであるWordPress。

オフィスも持たない会社によって、旅をするように移動しながら仕事をしているクリエイターによって作られたこのシステムは、

今回僕が書いていこうとしているブログのイメージにとても合っている気がした。

そしてインストールをして5分でその予感は確信に変わった。

まず、最初に現れた入力画面。

最初の一文。

『5分でできるWordPressの有名なインストールプロセスへようこそ!Readmeはお暇なときにでもお読みください。』

なんかいい。とても気が合いそう。

そしてインストールが驚くほど早い。

ほんとにインストールされたのかと疑うくらい早い。

5秒くらいじゃなかっただろうか?

そして、そんな僕の驚きを見透かすような、この言葉。

『WordPressがインストールされました。もっと何か作業をしたかったですか?がっかりさせてゴメンナサイ。これだけです!』

ゴメンナサイ!って、なんか軽いけど、サラッとしててイイ奴だなぁ。

そして、何も設定せずにとりあえず開いてみた、自分のブログの美しさに感動。

 

昔、Movable Typeを使った経験から、最初はものっすごく味気ないデザインのブログを覚悟していたのに、このサプライズ。

そりゃ、世界中から愛されるわけだ。

もう、このまま使っていいんじゃないか。

上質なものは品があるなかに人の温かみがある。そして何か嬉しい予感のようなものを感じさせてくれる。

そんなわけで、WordPressの軽さに感性を刺激されつつ、

清々しい開放感とともにこのブログをオープンしました。

今後ともよろしくです。

 

道具と感性 ~ジョブズ追悼のためのMac礼賛~

mac book air を買って、windowsを手放してそろそろ3ヶ月。

ここ最近は毎日、ひとりごとのように「Macええわ~。」とつぶやいています。

本当にMacはいい。

だからこの良さをなんとか伝えたと思っていたのだけど、それがなかなか難しい。

この、良さが伝えにくいのがMacのMacたる所以と言うか。

なかなか言語化できない微細なレベルでのブラッシュアップを続けて勝負してきたのがapple社の凄いところなんだと思う。

もともと勝負しているフィールドが他社とは違うのだ。

Macもはっきり言って、できることはwindowsと変わりません。

あえて良いところを上げると、

・画面が美しい。

・反応スピードが早い。

・ハードのデザインが秀逸。

・音が良い。

それはまあ、その通りだ。

でも、Macの本当の凄さはそこじゃない。

もっと微細な差異の積み重ねによって、使う人の感性や状態にまで違いを生み出すことに成功している。そこが凄いのだ。

一番わかりやすかったのは、家電量販店での体験だった。

PCを買おうと、windowsパソコンの前に立ってモニターを見ながらいじっていたのだけど、胸のあたりが「しょぼ~ん」と閉じていくんですね。

それがmacコーナーに行き、macをいじっていると今度は胸が「ふわっ」と広がる。

この身体感覚の違いは潜在意識の反応なのだが、潜在意識が何を感じているのかをあえて言語化すると、

windows 「う~ん、なんかギラギラしてしんどいな…。」

mac「おぉ~、なんか創りたい!」

とまあ、そんな感じ。

この違いは、仕事をする道具としては決定的に大きい。

では、この感覚の違いを生み出しているのは何かというと、フォントの美しさとか、モニターの発色とか、黄金比を用いてデザインされたアイコンとか、ウインドウの周りの影の自然さとか、ウインドウを開くときの動きとか、タッチパッドの操作性とか、

もうほんと些細なことの積み重ねと相乗効果によって支えられている。

だから、言語化が難しい。

スペックに現れない違いだし、ユーザーの感覚レベルの話なので、無理に言語化すると、「Macはクリエイティビティーを刺激してくれるんだよね。」となってしまって、

結果、「マック信者!!」と揶揄される。

でも、繰り返すが、こういった「スペックに現れない違い。」「言語化できなレベルでの差異の積み重ね。」によって体感レベルの圧倒的な違いを生み出している点が、Apple社の凄いところなのだ。

これは始めてiphoneを持った時の驚きも同じ。

携帯電話にしろPDAにしろ、それをポケットに入れた時、僕らの潜在意識は小さな家電製品を持ち歩いてると認識していた。

でも、iphoneの中の写真を指でスライドさせた時、潜在意識はそこに実際の紙の写真があるかのように認識した。

電子デバイスではなくて、紙があると認識することによって生まれた安心感と身体との親和性。

それが感性に与える影響は甚大で、ついには生活スタイルまで変えてしまった。

思考の道具として、創造の道具として、スペックがどうこうではなく、人間の感性や状態にどのように作用(影響)するのかという部分が、一番重要なのだ。

そして、最初からそこで勝負しているのがApple社なのだ。

試しにヨドバシにでも行って、windowsとmacを触った時の自分の体感と頭の中の創造意欲の違いを感じてみて欲しい。

きっと驚かれると思います。

この圧倒的な違いが、

なんと今なら驚きの79400円から…(笑)

同じようなことを、茂木健一郎さんが脳科学者の立場から発言していたので、引用しました。

全くそのとおりだと思いました。

***以下引用***

コンピュータという存在が、どのように私たちの脳の感覚、認知の回路に働きかけるか。感覚と運動の連関を通して、さまざまなクオリア、情動を引き起こすか。それは、「気のせい」や「趣味」のことなんかじゃなくって、「計算」なんだってば!

マック・ユーザーを、「こけ」にするコンピュータ・オタクたちがずっといた。いいよ、Linux使っても何やってても。でも、そういうチューリング・マシンの枠内で理解できる「計算」と、異なる「計算」が、この世界にはあるんだって。
なんでそのことが理解できないかな! iPadが出てとき、まるで遊んでいるように情報を扱えるようになった。3歳の子どもでも遊べる。キーボードからラインコマンドを打つコンピュータと、それは、アルゴリズムでは等価かもしれない。
しかし、「経験の質」という「計算」においては、全く違うんだ! OSで、アイコンをどのように配置するか。ハードウェアの曲線や、手触り、立ち上がりの時の音楽。
ジョブズがやってきたことは、「趣味」の問題じゃなくて、人間の感性における、ハードコアな「計算」なんだ。それを、「マック信者」だとか言って、「こけ」にしてきたんだよね。

Googleは、ユーザーが要求した情報以外には提示しない、という哲学で一つの「経験」を提供した。一方、世間には、要求もしないのに余計なことをするソフトがあふれている。
それは、「経験」という「計算」の領域において、やってはいけないことなんだよ! 結局、ジョブズは、単なるアルゴリズムの箱という意味合いを超えた「計算」の領域を、コンピュータにずっと見て来た人だった。趣味や感性の問題じゃないんだ。そこには、緻密な計算のロジックがあるんだ。
そのことを感じた人がアップルを支持した。ジョブズは、計算の未来だった。

追悼 スティーブ・ジョブズ

s.j

ジョブズが逝った。

ひと月程前に、ガリガリに痩せ細って、人に支えてもらわないと立てなくなっているジョブズの姿を見て目を疑った。

と同時に、もう長くはないなと覚悟をしてはいたが、実際に訃報を受けて朝からショックだ。

彼は芸術家であり思想家であり、起業家であった。

芸術家の繊細さと感性を押し通すために、傲慢なサディストのようにビジネスを動かした。

通常は一人の人間の中に共存できないはずの相容れないパーソナリティーを共存させていることが彼の強みであったし魅力であった。

そして、その歪みは癌として現れたのだろう。

それにしても惜しい人を亡くした。

もっと生きて、彼がどんな風に世界を驚かすのか、どんな言葉を発するのか、もっともっと見ていたかった。

僕は彼の啓発的で、深い洞察に根ざした言葉が好きだった。

その中で、彼が死について語った言葉を引用します。

彼の死後に聞くと、遺書のように感じてしばらく物思いにふけってしまった。

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誰も死を望みはしません。

天国に行きたいと言う人さえ、死を望まない。

にもかかわらず、死は我々が共有する最終地点なんです。

誰も逃れることはできないのです。

そして、そうあるべきなのです。

死は生における最も優れた創造物なのだから。

それは生に変化を起こすもので、

古きものを消し、新しきものへの道をつくるのです。

そして今、新しきは君たちです。

しかし、そう遠くはない未来に君たちも古きものとなり消えていきます。

とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、

それは全くの真実なのです。

君たちの時間は限られている。

だから無駄に誰かの人生を生きないこと。

社会的通念に囚われてはいけない。

それは他人の考え方と共に生きるということだから。

他人の意見というノイズによって、

あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。

最も大切なことはあなたの心や直感に従う勇気を持つことです。

それらの内なる声、心、直感はどういうわけか、

君が本当に何になりたいのかを既に知っている。

それ以外のものは二の次でいい。

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アップルのHPが泣ける。

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こんな深みのある顔になれるくらいに、正直に生きたいですね。

無力ではない

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テレビを見ていると、自分の日常に非常に大きな違和感を感じてしまいます。

同じ日本人の何万人かが寒い夜と空腹を感じていて、連絡を取れない家族のことに思いを馳せている中、

普通に今日が仕事だということに。

今子供たちがドラえもんを観ているということにも。

でもそんな時こそ感情のブレを押さえて、日本人の1人として今この瞬間に、自分の中心をどこに置くべきかと問います。

そうすると、やはり自分の目の前のことに集中するべきだと返ってきます。

むしろ日常を楽しんで見せよと返ってきます。

いつも通りの日本の日常があるということをしっかりと担い、

そしてしっかり働いて稼いで、しっかり募金するのが、僕のできる最も誠実な在り方なのでしょう。

僕らはそれぞれにつながり合って、それぞれを担いながら、日本という1つのシステムを動かしています。

それが1つの生命体であるとすれば、僕ら1人1人がその細胞のようなものです。

ちょうど宮城というのは日本という身体の胸の辺りを損傷したような形です。

でも自分が胸ではなくて足の細胞だとしたら、胸が損傷しても足は足としての役割を止めてはならないのです。

胸は痛いだろうけど、足は足として歩みを進める。

自分の担っている役割に集中しつつ今できる最善をつくす。

それがつながっているということの覚悟です。

僕が霊能者なら祈るけど、僕は経済人だから稼ごう。

稼いで稼いで募金しよう。

そして子供たちにはドラえもんを楽しめと言いたい。

僕らは決して無力なんかではないのです。