月別アーカイブ: 2011年8月

人の記憶の中に生きる

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Facebookが流行ってきていますね。

僕はまあ、完全に放置状態だったわけですが、最近、それを少し見直して、知らない人をすべて切って手を加えました。

どうもFacebookは情報が雑多すぎるように感じていて、見ていて疲れます。

でも一点、登録名が本名であるというところは良いですね。

既に音信不通になって久しい昔の友人が、自分を見つけて連絡してくれたりする。

これはとても嬉しいものです。

先日、高校時代の友人が僕のことを見つけて、メッセージをくれました。

実に20年ぶりのコンタクトです。

「変わらないね。」「変わったね。」というやり取りの後、

「そういやお前ん家で、スーパーファミコンしたの今でも良い思い出やわ~。」と伝えると、

「俺は、◯川さんの写真撮ってきてくれた時は、めちゃ感謝したわ。」と返ってきた。

◯川さんとは、彼のその当時の憧れの人。

自分がそんな写真を撮ったことも忘れてしまっていたけど、昔から調子乗りな所があったから、おそらく「俺にまかせとけって!」とか言いながら、撮影をお願いしに行ったのでしょう。

その彼の言葉を聞いて、懐かしさとともに、なんともいえず温かい気持ちになった。

人の記憶の中に、自分でも忘れてしまっていた当時の(調子乗りな)自分が生きている。

20年経ってなお生きている。

それがなんというか、押入れで昔の宝物を見つけたような不思議な感覚にさせてくれました。

そんな風に、人生のその時々に関わった人たちの記憶の中に、その当時の自分が生き残っていく。

でも当の本人はそんなことお構いなしにどんどん新しい現実を生きて、成長して、古い自分を忘れていく。

生きるということ、歳を重ねるということとはそういうことなのかと、その豊かさに驚くと共に、

「そんなことなら、もっともっと友達のためにいろいろやっていたらよかったな…。」とも思いました。

Facebookというツールを自分は何の目的で使うのか? これまではその答えを見いだせないままでした。

ビジネスでの自分ブランディングといっても、今以上忙しくなっても困るし、文章表現はブログで事足りている。

じゃあ、何に使う? と思っていたのですが、今回のことでようやく自分なりの使い方が分かりました。

旧友に見つけてもらうための、目印として使おうと。

人生のどこかのタイミングで出会った人達が、本名や学歴など、いろんな検索ワードで自分を見つけてコンタクトを取ってもらえるように、

プロフィールだけはしっかりと開示して、ひたすら待つという使い方がいいなと思いました。

というわけで、しっかりプロフィールを整理して、

また、放置し続けたいなと思いました(笑)

本名での情報開示ということで、Facebookの日本での普及率はまだまだでしょうが、

旧友との再会と再接続という価値を生み出せる可能性は、このツールが一歩先んじていますね。

普段あまりネットをしない人達にまで、浸透していくと嬉しいです。

境界線で遊ぶ

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8月も半ばを過ぎて、蝉が鳴かなくなりましたね。

夏の盛りは本当にあっという間。でもだからこそ特別ですね。

皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?

僕は、この夏にやろうと決めていたことはおおよそできたのですが、一つ心残りなのは、カブトムシがとれなかったことです。

ザリガニも少なかった。

僕は虫捕りに関しては天才的だと自負していたので、ちょっとプライドが傷つきました。

気になったのは、森林にカブトムシの気配というかエネルギーを感じなかったことです。

感じなくなってから初めて「そんなものを感じて虫捕りしてたのか!」と気づいたのですが、去年は確かに、カブトムシやクワガタがいる気配を感じていたし、実際にいた。

でも今年は最初からそれを感じられなかったし、やっぱりいなかった。たぶん、カブトムシの絶対量が減っているのだと思う。

どんどん味気ない町になっていってる気がするぞ、相生市。

昔は沢にはサワガニがいて、ヤゴがいて、そこをとんぼの王様であるオニヤンマが飛んでいました。

皆さんはオニヤンマが飛んでいる姿を見たことがあるでしょうか?

普通のとんぼは自由に旋回して飛び回るけど、オニヤンマは堂々と直線で飛ぶのです。

その姿は本当に凛々しくて王者の風格さえ感じさせます。

かっこいいのです。

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そして子供の頃の僕は、虫取り網を構えて、その王者に勝負を挑んできました。

それが真剣勝負で、本当に面白かった。

大人が用意したどんな遊びよりも、面白かった。

用意されたものでないし、手加減も無いからリアルだった。

そう思えば、僕にとって、そしておそらく大半の子供たちにとって、大自然と町の境界線こそがスリリングな遊び場であり、学び場だったのではないでしょうか。

既知と未知の境界線といってもいい。

そこは真剣勝負の世界です。努力してもどうにもならないこともあれば、危険もつきまとう。

でも境界線なので、怪我をしたら一時撤退してすぐに町にもどることもできる。

遊ぶために大人に準備された場ではないし、見せるための自然でもない。

その未知に対して自分で想像を広げて戦略を立てて、攻略していく手応え。

五感全部を研ぎ澄ませて挑む感覚。

それが自然と町の境界線で遊ぶなかで鍛えられたものです。

今思うと、僕はそこでいろんな能力を育ててもらったようです。

既知と未知の境界線で、少しずつ未知を既知へと攻略していく。

その攻略すべき未知は、虫取りから、やがて女の子の心と性へと対象が変わり(笑) その後、哲学や芸術になったり、ビジネスになったり、

そして、今は人の心理や魂やうつ病が主戦場になっていますが、やっていることは当時と変わっていません。

未知を攻略するために、真剣勝負を挑んでいるのです。

そう思うと、今も僕は同じ遊び場にいます。

こういった自然との境界線で五感を研ぎ澄まして勝負する感覚を子供たちに与えたいなと思うのだけど、町はどんどん変わって行きますね。

昔は境界線が良い意味で曖昧で、人の手も入っていながら自然でもあるというグレーゾーンの里山が広がっていました。

でも今は境界線には垣根が張り巡らされ、コンクリートで舗装され、遊び場はあらかじめ準備された公園になっています。

それが僕には残念に思えてなりません。

自然という未知と危険が無ければ、人はこの世界に対する畏怖と好奇心を失い、ダラっとしてしまって、動物的な何かを無くしていく気がするのです。

僕に今すぐできることは何も無いけど、人生をやりつくしたら、余生はカブトムシだらけの里山を作って世間を驚かしてやろうかと、密かにたくらんでいます。

日本人の私とは誰か

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去年の夏、ある女性がカウンセリングを受けに来られた。

セラピーや霊能の世界で高名な方で、たくさんの人脈をお持ちなのに、なぜか車で3時間もかけて、他府県からいらしてくださった。

最初、その理由が自分にはわからなかった。

良いセラピストや霊能者なら、人脈の中に沢山お持ちだろうに、なぜ私なのか?

私が伝えることが何かあるのだろうか?

よくわからないままセッションを進め、終わる頃には次回の予約を取りたいとおっしゃる。

もう一度、往復6時間も車を運転して来たいという、その意図は何なのだろう…。

それが全くわからなかったのだ。

しかし、3回目のセッションが終わる頃に、その謎は解けた。

セッション後のちょっとした雑談から、戦争と日本の精神性の話題になり、お互いに心を震わすようなやり取りをすることとなったのだ。

そして、彼女は日本人が無くした隠された歴史について熱く語り始めた。

私に伝えることがあるのではなかった。

彼女の方こそが、この話を私に伝えるためにクライアントとしてここに来ていたのだ。

腑に落ちる感覚があった。

そしてそれを語り終え、彼女は私にいくつかの宿題を与えて、お役目を終えたのだろう。セッションは終結となった。

ちょうど同じ時期、主催のプレゼン練習会に、オーストラリア人が飛び入りで参加したことがあった。

せっかくだからと即興でお話しをお願いすると、少し照れながら少し緊張しながら、そのオーストラリア人は自分の生い立ちと仕事について語ってくれた。

それを見て、深い目と着地した空気感を持った人だなと思った。

日本人の私にはない存在感。この違いは何なのだろう。

特に何かを成した人ではない。普通のオーストラリア人が緊張しながら自己紹介しているのだ。

でも彼にあって私にはないもの。私にある軽薄さ。

その正体は何なのか?

そう問えばすぐに答えは閃いた。

それは民族としてのアイデンティティや、ルーツとのつながりの太さの違いなのだと。

こうしてこのオーストラリア人によって「日本人としてのルーツ」というキーワードが心に現れていた同じ時期に、先の女性クライアントは、同じテーマを投げかけて去っていったわけだ。

自分の目と感性で日本人の精神史を掘り起こし、祖先たちの誉れ高き真実を知りなさい。

そして、それを自分のアイデンティティーに再接続しなさい。

そうしなければ、いくら知識をまとっても経験を積んでも、あなたは軽薄な根無し草ですよ。

もし、天が私を導いているのだとしたら、そう言っているような気がした。

そこで、戦争を資料映像で見てみようと早速DVDを買った。

毎年、戦争についていくつものドキュメンタリーやドラマや映画が放送されるが、私はそれをあまり信用していなかった。

敗戦によってヒューマニズムの観点から捉え直された歴史は、感動するが、深い部分では全く違うと感じていた。

だから、現代の観点から意味付けされる前の資料映像から、実際にそこで動いている当時の人の体の使い方や表情やエネルギーから自分の感性を使って読み取るしかないと思った。

そうやって資料映像を見ていくと、私が知っている日本とはまるで違う日本がそこにあった。

今の私たちにはなくて、あのオーストラリア人にあったルーツとのつながりから出てくる落ち着いた振る舞いが、当時の日本人にはあった。

まったくブレのない体の軸と端正な表情。

これはあとからヒューマンドラマとして焼き直された、強制された出陣ではなくて、国を背負い日本国民というアイデンティティーを背負うことの誇りと気位の高さを表していた。

一方で土着で野蛮で狂信的な、戦争の熱狂があった。

重苦しい黒いエネルギー。

ある神道家が戦時中を黒龍のエネルギーに支配された時代と言っていたが、あながち間違いではないなと感じた。

そして、DVDの巻を進めて、終戦に近づくと、終戦の巻だけ何度見ても眠ってしまうことに気づいた。

4回くらいチャレンジしたと思うのだが、どうしても途中で眠ってしまって、記憶が曖昧になってしまうのだ。

自分の潜在意識の中に、終戦に対する大きな抵抗があるなと感じた。

なんだろうなと考えている時、ふと、なんとなく「昭和天皇の玉音放送ってどんなことを伝えていたのだろうか?」と疑問が芽生えた。

玉音放送とは、敗戦を伝えた天皇の肉声による初のラジオ放送だ。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び。」という有名な一節は知っていたが、いったい全文はどんなものなのだろう?

なんとなくそれが気になった。

そこでネットで検索するとすぐに出てきた。

訳文と、天皇の肉声入りで。

恐る恐る聞いて、内容を読もうとすると、

その祝詞のように読み上げられる天皇の言霊に触れて、胸が熱くなってこみ上げるものがあった。

そして、涙が流れてくる。

それには自分でも驚いた。

何に泣いているのかわからないのだ。

涙を流しながら、私の潜在意識の奥底ではいくつかの意識があった。

「そうか、負けたのか。」という思いと。

天皇の霊格を慕う意識と。

そして、日本の深く優しい心根に対する愛情と。

潜在意識の中には自分の思いだけではなく、先祖代々の思いが残っているというのは、セラピーでよく体験していた。

でも、自分の中に、戦争に負けたことを受け入れられなくて、戦前の思想を持ったまま存在している先祖の思いがこんなにも強く残っていたのかと驚きだった。

そして、次に出会ったのは、「国民の遺書」という本だった。

特攻隊の人たちが家族に残した手紙を綴ったものだ。

編集した小林よしのりも書いているが、そこにあるのは、当時の若者の戦争への悲しみよりも、祖国を背負う気高さや誇りのようなものだった。

この本は涙なしでは読めなかった。

読むたびに泣きすぎて目が腫れて大変だった。

自分が生きた美しき瀬戸内の海と山。

この美しき祖国を愛し、この景色を子孫に残すために、自らの命を捨てようと決意した人たちがいて、その国土に自分が生きていたということを理解して、ひざまずきたくなるような衝動に駆られた。

嬉しかったのだ。

自分が生きた景色は、先祖たちが命がけで守ろうとしたものだった。

何かが自分の中でつながっていく感覚がした。

潜在意識の中で恥ずべき過去として切り離した先祖代々の「思い」としての歴史が、つながり直されていく感覚がした。

自分の身体感覚にも軸が取り戻されていく感覚があった。

こうやって自分の中の日本人としての精神史や歴史性を取り戻していく作業はまだまだ始まったところで、これからも長い時間をかけて続いていくと思う。

潜在意識の中の先祖の思いと共に、

終戦記念日前後になると、毎年自分は深くなる。