月別アーカイブ: 2012年6月

平日の昼に廃墟を見ながら昼ごはんを食べるということ

ふと冷静になって自分の姿を客観視してみると、なんとも異様なことをしているのだと気づいてゾッとすることが人生にはある。

個人の日常の営みの全てが、仕事、休み、食事、娯楽、と綺麗にカテゴライズされていくわけではない。どこにも入りきらずに境界を跨いだまま意味不明で横たわっている営みもある。

平日の昼休みに、PCモニターの廃墟の画像を眺めながら昼食を取るというのも、そんな営みの1つだろう。

いったい僕は何をしているのだろう(笑)

ちょっと疲れているのだろうか?

廃墟萌え。

 

ほら。この感じ。なんだろう。

名画を鑑賞する以上に、自分の中の深い何かにヒットする。

しーんと心が静まり返る。

この感覚を初めて自分以外の人の中に見つけたのは、梶井基次郎の「檸檬」の中の一節だった。

こんな一節がある。

~~~~~~

何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。

~~~「檸檬」梶井基次郎~~~

基次郎。あんたもか。

あんたもまあまあ病んでるな。

ほんの数十年前までは、ここには確かに人の営みがあり、賑わいがあり、誰かの思いがあり、何かが交わされていた。

それが今は痕跡だけになっている。静かに意識を合わせれば、当時の人の賑わいを感じ取れるような気もする。

栄枯盛衰。ここに写し出されているのは時の流れか、人の営みのはかなさか。

う~ん。たまらん。

とか思いながら昼食を食す(笑)

さて、あなたはどうだろうか?

あなたの中にも基次郎と同じ、惹きつけられる何かはあるだろうか?

よかったら、廃墟でも見ながら昼ごはん食べてくださいね。

【お勧めサイト】

「撮影した廃墟画像をだらだらと貼っていく」 http://hamusoku.com/archives/3912951.html 

「TEAM廃墟」
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/

でもくれぐれも長いは禁物ですよ。妙な感じになります(笑)

太陽と水草とサプライズ

先日、近くのホームセンターで水草を買ってきて、ベランダの水瓶に入れて育てていました。

これがなかなか気持ちが良い。

水瓶に浮かぶホテイ草の写真

初夏の日差しが水草の葉を照らす感じには、なんとも言えない瑞々しさがありますね。

「あぁ、癒しやなぁ~」とか思いながらボケ~っと眺めていたら、よく見ると水面近くを何かが泳いでいる。

ボウフラ?(蚊の幼虫)と思ったけど違う。

ものすごく小さいけど魚だ。

おそらくメダカの赤ちゃんですね。

買ってきた水草にメダカの卵が付いていたのでしょう。それが孵化して泳いでいる。

このすばらしきサプライズ。

なんだかとても嬉しくなりました。

そしてその小さな命を目で追ってると、癒される癒される。可愛いい。

この静かな幸福感はなんだろう。

太陽と日差しとそれを照り返す緑の葉と、そこで育まれる生命の躍動。

そしてそれを見る自分に沸き起こる感情。これはもともと自分に備わっていたものだろうか。

人間はこの生命の循環の中で唯一、他の生命を祝福する力を与えられた存在なんだなと、そんなことを思った。

デヴィッド・リンチと創造性

今日、アマゾンで本を見ていたら、類似商品の欄に、デビッド・リンチという名前が。←最近この手の書き出し多いな…(笑)

デビッド・リンチといえば、「イレイザー・ヘッド」や「ロスト・ハイウェイ」を撮った映画監督。世間的に彼を有名にしたのは「ツイン・ピークス」だろうか。

その鬼才の映画監督が、意外な本を出していた。

「大きな魚をつかまえよう―リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン」デヴィッド・リンチ著

「リンチ流アートライフ」? う~ん。気になる。

「瞑想レッスン」? 創造性を開発する瞑想ということだろうか?

「大きな魚をつかまえよう」? なんかポジティブ。大きな魚とはアイデアのことか?

が、それ以外の説明が一切無し。レビューも無し。

なんだろう。とても気になる。

そこでアメリカのAmazonで原書を調べてみると出てきた。

やっぱり瞑想をつかっての創造性の開発であったり、アイデアの捕らえ方といった感じのようだ。

でも、レビューを見てみると、単に彼はTM瞑想の実践者ってことか。

世代的に言ってもありえる。

時間があれば買ってみよう。(僕の瞑想熱がぶり返していたら買ったんだなと思ってもらっていい。)

最近、創造性とかアイデアと言えば、フレームワークを使って広げたり、ブレーンストーミングや6色ハット、マインドマップのような考具を使ったりというのが主流だけど、

ジョン・レノンが瞑想を学んだように、スティーブ・ジョブズが座禅を実践したように、60年代後半のヒッピームーブメントを通過した人達は、

思考であれこれ練るのではなく、マインドの奥底にある神秘の世界の扉を開けることで創造を成そうとしていた。

その結果、彼らの作品にはどこか思考では割り切れないような、奥行きと神秘といかがわしさがあったように思う。

あのスティーブ・ジョブズがフレームワークを使ってあれやこれやと考えたようには思えない。やはり座禅をして完成形をイメージでしっかりと見ていたのだと思う。

そこには脈絡も理論もなく、最初から完成形のイメージがあったはずだ。

フレームワークというのはむしろ、脈絡もなく現れた完成イメージの特性を忘れてしまわないように固定したり、左脳に理解させたり、マーケットに落とし込む時に役立つツールだと思う。

創造とはもっと突発的なものだ。

決して思考の結果としてあるのではなく、むしろ思考しすぎた結果、左脳が疲れ果てて思考が死んでしまうことによって、その奥から現れるものだ。(それはつまり瞑想家が呼吸によって思考を追い出すことと、構造的には同じことだ。)

アイデアは思考するまでもなく、既にあっちの世界にあるのだ。

流れている無数のアイデアを、思考で乱さないように息をひそめて捕らえようとするだけでいい。

さあ、大きな魚をつかまえよう!

って、あれっ、言ってもうた(笑)

買うか。

時代の空気を相対化する

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アマゾンからのお勧めメールを見ると、そこに「鶴見済」という、懐かしい名前が…。

「完全自殺マニュアル」を書いた人だ。

あの人の才気あふれる文体と切り口が好きだったなぁ。後で覚醒剤で捕まって、それは才気ではなく薬物の覚醒だと知ることになるのだけど…。

それにしても、この本。発売された93年で、なんと100万部突破したのです。

今考えると凄い時代ですね…。

「完全」「自殺」「マニュアル」が100万部です。100万部というと、1つの時代の空気を反映しているということですね。

確かに成功することよりも屈折することの方が真実の成長であるかのように思えた、奇妙な時代でした。(実際、僕もドロップアウトして世捨て人してたし…)

こうして思うのは、自分が最も多感だった青年期が、どんな「時代の空気」に支配されていたのか、それを相対化することが大切だということ。

普遍的であるように思える価値観も、実はとても特殊なある時期特有の空気なのだと、そう理解しないと、いつまでたってもそこにとどまってしまう。

悪くすると、それを「私」というパーソナリティ固有の性質だとしてしまう。

でもそれは違う。

「夢をかなえるぞう」が100万部を突破した数年前も同じで、「成功」とか「努力」というものが全ての個人にとっての価値であるような、1つ特殊な時代の空気に包まれていた。 (一時期ほどではないけど今もそう。)

包まれている間はそれが特殊なものであるということは見えない。普遍的でいつまでも続くスタンダードのように思える。

でもまた新しい波が来て、新しい気分が生まれる。

その波にその都度飲まれて、右往左往するのが僕らなわけだが、それはそれで楽しいなと最近は思います。

時代の空気に飲まれて、時代とともに遊ぶ。

目指すところがあるとすれば、それは時代空気の移り変わりのタイミングと、自分個人の人生の流れや成長の段階をシンクロさせていくことです。

最近は自分の小目標は、そこに置くのが面白いのではないかと思い始めました。

つまり、「完全自殺マニュアル」の時代には、しっかり完全に屈折して、そして時代がその流れを終わらす頃には、自分もしっかり飽きて成長をしている。

成功の時代にはしっかりまっすぐ成功を目指して実際に成功して、それが終わる頃には自分の中での成功ブームも終わっている。

そうやって時代の流れとタイミングを合わせていく。シンクロ率を高めていく。

時代と協奏する感じ。

でも一方で、その節操の無い自分の移り変わり体験の奥底に流れている「変らない何か」に気づき始める。

変わり身が早いからこそ際立ってくる自分の中にある「変らない何か」

それこそが「個」という、磨きぬかれた一貫性です。

僕は、僕という個人が頭で考えたミッションや目標よりも、自己像よりも、はるかにそちらを信頼しています。

いつまでも変わらずに一貫した自分軸というものがもし存在するとすれば、それは変わり続けることを通じて見出すことができるということですね。

だから、若い人はそんなに固くならなくていいです。アホみたいに節操無く変わっていけばいい。

硬くなって一貫性に執着していると、逆に自分が見えないし、迷う。

30代40代で人生を迷っている人を見ると、この方は1つの目標にしばられて、(それはつまりその目標を生み出した1つの時代の空気にしばられて)しっかりフラフラしてこなかったんだなぁ、と感じます。

柔らかく柔らかく。行きましょう。

そして今は?

時代は「成功と日常の心地良いバランス」に向かってますね。