月別アーカイブ: 2013年11月

始まりは「直視する」ことから

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人生を根本的に変えようとする時、最初にしなければならないのは「直視すること」です。

「目標設定すること」でも「行動すること」でも「学ぶこと」でもありません。

「直視すること」がスタートなのです。

自分の現状とまっすぐに向き合い、恐れて見ないようにしているもののフタを開けて、その現実の肌触りを確かめ、それとともに自分の中に沸き起こってくる恐怖を受け入れて味わい尽くすこと。

それは正直になるということに似ているかもしれません。

自分が目を背けているものを見て、隠している感情を受け入れる。

これはとても厳しいプロセスで、内面は嵐のように激しく揺れ動きますが、嵐とは必ず通り過ぎるものです。

その嵐に吹き飛ばされないようにしがみつくべき手綱は、自分に対する徹底した「正直さ」と「誠実さ」そして「呼吸」です。

それさえ掴んでいれば、嵐があなたを吹き飛ばすことはありません。

直視するというプロセスを通過することで、嵐の後に清々しい空が広がっていることに気付き、いくつかの恩恵に似た選択肢を発見し、深い腹の底からの決断をもってそれを選択することができます。

人はこのプロセスを通ることを怖れるあまり、まるで怖れをまぎらわすかのように目標を設定したり行動したり、思考したりします。

でも、厳しい言い方ですが、そのような目標や行動や知識は、怖れを覆い隠すことは出来ても、本質的な変化へと自分を押し出す力を持たないのです。

本質的な変化とは、その問題解決のプロセスを通じて自分の霊性が進化し、境地が1つ高まり、それ以後は見える景色が変わってしまうような不可逆的な変化のことです。

そのような変化は、自分の恐れを直視して正直になっていくことを通じて、その土壌が用意されます。

「目標設定」や「行動」はその後にくるものです。

これまでにあれやこれやと前向きに目標を設定したり行動しているにも関わらず「変わらないな…。」と感じている方は、

「目標」や「行動」や「学び」をひとまず横に置いて、より一層正直に自分の内側に降りていきましょう。

今の現状で、あなたが最も恐れていて、最も見ないようにしているものは何でしょうか?

感じないようにしている感情は何でしょうか?

無かったことにしている小さな嘘は? 小さな不誠実は?

そこに光を当てましょう。

冬の時代

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先日、ここ数ヶ月間頭を占めていた(心を悩ませていた)プロジェクトを無事完了することができた。 プロの手助けを得て、なんとか形にできた。

これは僕にとっては特別な意味を持つ仕事だったので、嬉しかったしホッとした。

そこからの帰り道。

独立したての10年前に住んでいた深江橋を通りがかったので、車を止めて1人で散歩してみた。

いつもここを車で通る度に、当時の重たい記憶をこの土地に残していることに気付いていて、いつか機会があったらちゃんと向き合って供養したいと思っていたのだ。

車から下りて、いつも通勤で使っていた地下鉄の狭い道を歩いてみたり、当時の住んでいたマンションへと続く道筋を歩いていると、昔の感覚がフラッシュバックするみたいだった。

当時住んでいたマンションは空室になっていて、一階にあった弁当屋もお好み焼き屋も今はつぶれて空きテナントの看板が貼られていた。

この街に住んでいた当時の僕はニートのような状態で、いつも昼間っから自転車でウロウロしながら未来の仕事のイメージを広げていた。

嫁が仕事をして、僕はネットと株で収入はあるもののやっていることはニートで、そのくせ東京まで心理の勉強に行ったりしていた。

頭の中にはこうなりたいというアイデアでいっぱいだったけど、お金も能力も経験も無くて、悶々としながら未来へのイメージを広げていた。

当時よく行った公園には、昼間だからか子供連れのお母さんがたくさんいて、ベンチではサラリーマンが1人で座って弁当を食べていた。

よくこの公園で早朝からipodで経営コンサルの対談を聞きながら走っていた。そうでもしなければ自分を保っていられなかったからだ。

自分はやっていけると強く強く信念を固めてイメージを保っていても、翌朝目が覚めると自分は夢に逃げてるだけなんじゃないかと思えて不安に潰されそうになった。

いつもみぞおちのあたりに重い不安の塊のようなものがあった。

それに飲み込まれないためには違う情報を頭に入れ続けることと、走ることしかなかった。

あの時の孤独感。何もない自分への怒り。無力感。家族を持っていることの不安。

その惨めさったら無かった。

でも、今はお前の夢は全部叶えたからな。お前が培った知恵は全部人の役に立ててるからな。今では信頼してくれる仲間もできたからなって、

公園のベンチでそう強く思ったらなんだか泣けてきた。

逃げなかったな。よくやったなって。

この真っ昼間の深江橋の公園の、横でサラリーマンが弁当食ってるベンチで、一人で高らかに勝利宣言をした。

お前が正しかった。お前の勝ちだと、昔の思いを供養した。

人は誰でも冬の時代を通過する。

未来に望むものが大きければ大きいほど、冬の寒さは厳しいものとなる。

見ているヴィジョンと今の自分とのギャップに苦しむ。やってることが普通と違いすぎて孤独を感じる。自分の在り方を社会に説明する言葉も無い。周りと比較すると惨めな気持ちになる。

でも冬は省くことの出来ない成長のプロセスだ。

ヴィジョンを結晶化させるために、寒さでギュッと実を内側に凝結させて、春の芽吹きに備えているのだ。

でも、冬のただ中を生きる当人にはそうは思えず、まるで神様が自分に意地悪をしているのかと思うくらいに上手くいかないし、流れが停止してしまう。

そんな人生の冬を生きている人達の、それでもそこから逃げずに通過しようとする人達の味方でいたいと僕は思っている。

ヴィジョンを持つことで自分の人生に冬を招き入れ、その寒さに耐えながら粛々と進んでいく人達の誠実さが好きだ。僕はその人達の側にいたい。

冬を追い出すことで、人生から四季を無くしてはならない。

誰かの華やかな才能に惹かれるとしたら、それは同時にその人の生きた冬の深さをそこに見ているのだ。

夏はバカみたいに咲き乱れて秋の収穫が終わったら、また次の冬に備えたいと思う。

 

「今」にくつろぐ

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いやはや。いろいろ忙しすぎて大変なことになってる…。

夜型の僕が朝6時に勝手に目が覚めるほどに。

心配もストレスもすべきこともとっちらかっていて溺れてしまいそう。

でも、あの禅寺の老師が言うように、「今ここ」以外は全て妄想なのだ。

起こることと戦わずに受け入れて、未来の心配も手放して、ただ「今ここ」に立っていると、

忙しかろうが大変だろうが「今」は以前と変わらず静かに広がっている。

「あぁ~。大変だ」とか「うぅ~どうなるんだろう…」とか「まだまだ忙しい日々が続くぞ…」という自分の想念に心が反応しているだけで、

「今」は以前と変わらずに清々しく広がっている。

その「今」にくつろぎながら、目の前の仕事をやっていくしかない。

その瞬間瞬間に目の前にやってくる仕事と戦わず、仲良くなるしかない。

みなさんもいろいろと大変そうだけど、お互いたんたんとやっていきましょう。

山の行より里の行。

ほんと、娑婆の日々こそが修行ですね。