月別アーカイブ: 2015年11月

良くはない…。

ファミマ

東京出張の祭に、ファミリーマートに行ったら扉に「防犯訓練中」って張り紙してて、レジの周りにやたらたくさんの店員がいた。

他の客はいなくて僕だけだし、なんか凄い雰囲気なので近くにいたお姉さんの店員に聞いてみた。

「今買い物して大丈夫ですか?」

「あっ、はい。お気になさらずにどうぞ(^^)」って言うから、

「あっそうですか…」となったわけです。

で、ミネラルウォーター他いろいろ選んでレジに近づいたら、

黒い服を着た男が店員に短刀を突き出してて、

「カネを出せ!!おらっ!金だせ!刺すぞ!」って…。

ほんま良かったんですかね僕…(汗)

「あっ、そっちでレジしてあげて」って偉い人がさっきの女性店員に指示して、凄い緊迫感の中、ピッ…ピッ…ってバーコードを読む音が虚しく響くわけです。

で、「あっ、あとホットコーヒーのSで…。」とか言ってみたり(笑)

そしてコーヒー淹れる所が、短刀を突き出してる黒ずくめの男のすぐ背中のところだし…。

写真撮影もするみたいで、店員に短刀突きつけた状態でパシャパシャ撮られてるすぐ後ろで、

ブゥイーーン……。

じょろじょろ~ってコーヒー淹れる音がして(笑)

「あっ、すみませんね」って短刀持った男が振り向いて愛想笑いして、

「いや、こちこそすみませんね」って愛想笑いを返すという、なんともシュールな絵ができまして、

そして帰り道。

「やっぱ、東京って凄いなぁ(・∀・)」って、頭の中で雑にまとめたのでした(笑)

無かったことにされた人に居場所を

pari

パリで同時多発テロが起こりました。

今分かっている限りで130名の命が失われたと言います。

こんな時、私たちに何ができるでしょうか。

「影響の輪、関心の輪」というフレームで見ると、パリで起こったことは海を隔てた遠い異国の出来事であり、私が影響できることなどなにも無いように感じます。

それは関心の輪の出来事に思えます。

であれば「自分の影響の輪に集中しろ!」というのがセオリーですね。

「世界平和のために私ができることはありますか?」と聞かれたマザー・テレサはこう答えたと言います。

「家に帰って家族を愛しなさい」

影響できる世界に集中して、そこにまず平和と愛を実現すること。

それが平和のためにあなたができる一歩なのだと。

尊い言葉です。本当にその通りだと思います。

でも、今の私の認識はそれとも少し違っています。

心理療法家として人の精神的な病や激しい感情を扱ってきて、そこで見てきたもの。

人間の集合的無意識を扱うような最近の心理療法が明らかにしてきたもの。

それは、

私たちは自分が思っているほど個人ではなく、お互いに影響し合っている。

ということです。

血縁の中の会ったこともない人の痛みを代わりに背負って子供が問題行動を起こしていたり、

戦争で亡くなった祖父の恐怖を背負うことで、孫の世代に原因不明の対人恐怖症が現れていたり、

そういったメカニズムが心理療法の中で明らかになり、そして変化が起こっています。

私達の深い心は互いに繋がり影響し合っているのです。

そしてこういった心理学が明らかにした法則があります。

それは、

グループの中で除外されたメンバー(無かったことにされたメンバー)の感情はグループの誰かによって代理される。

ということです。

そのような目で今回のパリのテロを見た時に思うのは、

テロリスト達に、自分の命を捨て罪無き人を殺さなければならないほどの強い力動を与えているのは、誰が除外されたからなのだろうか?

居なかったことにされたのは誰なのか?

テロリストたちはその抗いがたい行動によって誰への愛と絆を表明しているのだろうか?

ということです。

それは実際に本人たちがそう叫んだと言われているようにシリア空爆によって命を失った同胞たちです。

その人達の痛みには充分な注目と哀悼が与えられたでしょうか。

パリの130人と同じように、その痛みと恐怖と無念に思いを馳せ、私達の心の中に居場所を与えられたでしょうか?

空爆というものの背景として無かったことにされてはいないでしょうか?

除外されて無かったことにされた者の痛みや無念は誰かが背負い、暴力や病気を通じて現象化します。

そしてその役割を担う人というのは、所属しているグループの中で最も愛情深く忠誠心があり、心優しい者だと言われています。

アラーに対する狂信や宗教の対立がこれを起こしているのではありません。そのイメージは何かを見えなくさせています。

所属している家族があり民族があり、そのメンバーが除外された時、その同胞の誰かが狂おしいような力動を持って暴れざるをえないのです。

その狂気は個人の意志力で抵抗できるようなものではないのです。

心理療法を通じて最近では、こういったグループの力動として現れる病理を少しずつ癒やすことができるようになってきました。

それは、無かったことにされた人達をしっかりと見ること。

そして心にその人達の居場所を与えることによって成されます。

癒しは次のような祈りによって成されます。

『シリアの人たち。私には知るすべもなく無残に亡くなっていった人たちへ。

あなた達の痛み無念、悲しみを私はこの心の目で見ます。

そして銃を持たざるをえない人たちの衝動に、あなた達の悲しみと同胞愛と絆を見ます。

あなた達の過酷な運命とそれを全うしたあなたの生の尊さに敬意を表します。

あなた達もまた私の家族です。地球というより大きな家族のメンバーです。

私の心の中にあなた達の居場所を作ります。

そして遠く離れたこの国で、私はあなたが夢見た平和と愛を生きていきます。

あなたの同胞の1人として。』

そう祈り迎え入れる時、対立と恐怖によって凍りついていたものが溶け、温かいものが流れ始めます。

深い瞑想とともにこのような祈りを捧げる時、見たことも会ったこともないシリアで亡くなった人たちと自分との間に温かいつながりを感じられるでしょう。

そして自分の心の深いところがそのつながりを喜び、私たちは生命力を感じます。

心に居場所を与えることで私たちは僅かながら遠い異国の同胞達の悲しみと怒りを慰め、そして一方で今を生きる力に変えることができるのです。

パリのテロもシリア問題も、私達の影響の輪の中にあります。