風景が改められていく

急遽、休みを取って、兵庫の田舎に帰省しています。

実家に帰ると、子供と一緒に近所の路地を探索するのが本当に楽しい。

aioi2

子供の目を通じて、懐かしい風景が見直されていく感覚。

僕の中に残っている少年としての記憶と、

今の我が子の真新しい感性が重なりあって、なんとも言えない気持ちになります。

少年時代の僕がザリガニ釣りに毎日通った池が、今は埋め立てられて野原となり、

そこを我が子が駆け回る。

aioi

そのあいだに流れた時間を思うと、めまいがした。

反応と創造と

medium_4860915122

今という時代は、人類史上かつてないくらいの情報にさらされて生きている時代なわけですが、

特にここ数年は、ちょっと節操もないなぁと感じています。

ブログ、mixi、youtube、ツイッター、Ustream、Facebookと、これらのツールが、ほんの数年の間に出てきているのです。

今では人のつぶやきレベルの情報が入ってくるのだから、なんという時代でしょうか。

それをありがたがっている向きもありますが、(もちろん相当ありがたいのですが、) 僕は自分の思考がどんどん細切れになっていくことに対する危機感の方が大きいです。

情報に触れると、その瞬間に何かしらのコメントが頭に浮かぶけど、

それは反応であって、創造ではありません。

あたりまえだけど、反応と創造は違います。

頭を使うのと、使われるのは違うのです。

そんなことよりも、頭の中からコメントを削除して削除して、流して流して空となり、

自分の中の深く静かな本心の声に耳を澄ます方が遙かに大切で、

そして、実は遙かにお金になります。

創造のためには、自分の中に生まれたヴィジョンとフィーリングを乱されないように、静かに丁寧に育てていく必要があります。

それはとてもデリケートな作業です。

内なる声とヴィジョンに従って行動し、その結果得られた感覚が正しいのかを確認するために、また自分の内につながる。

そうやって自己との関係を深めていくことで成されるものです。

自分から切り離されたらダメなのです。

自分の本心の声も聞けずに、雑多な情報を身にまとっても、自己の中心に根ざしていない情報は創造へと昇華されません。

情報通であることと、情報の海でおぼれていることは違うのです。

ツイッター、Ustreamと、なにかと世間は騒がしいけど、

どうか、素晴らしく無垢な若い感性が、迷いませんように。