月別アーカイブ: 2010年12月

自然界に倣う

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自分を変える必要は無いんだと知って、変える努力を止めた時に、人は最も力強く変わり始める。

これは興味深い逆説です。

弱い自分を変えようと、強く振舞っている間は苦しくて変われない。

でも、弱くていいや。弱いのも自分なんだと受け入れると、力が抜けて体が緩んできて、自分本来のナチュラルな強さが出てくる。

暗い自分を変えようと、明るく振舞っている間は苦しくて変われない。

でも、暗くてもいいや。暗いのも自分なんだと受け入れると、気持ちがほどけて、自分本来のナチュラルな生命力があふれてきて、結果、明るくなる。

「受け入れる。」ということには、「変わろうとする。」こと以上の力があるようです。

変わろうとすることは、現状の自己に対する否定が含まれており、自己を否定することは、自己の力を奪うことだからです。

成長を志すなら、自然界に倣うのが一番のように思います。

自分を変えようと頑張っている木が存在するでしょうか。

木は変わろうとも思わないし、成長しようとも思わないし、大木を目指しているわけでもない。

自己に充足していることで、結果的に伸びる。

自分の中にもある自然。

そこに、ゆだねるのが最大の力なのだと、最近は思います。

老子は言っています。

「学する者は日々益し、道する者は日々損す。損して損して無為となり、無為にして為さざるは無し。」

無為であることで、何でも為せる(実現できる)というのは、自分の中の「変わりたい!」という頑張りではなく、それを手放したところに残る「自然」を使うということなんですね。

被害者を超える

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今日のカウンセリングを通しての悟り。

「どんなに心の傷を癒しても、最終的にはその傷も自分の責任だという悟りにまで至らなければ、本当の癒しにはならない。

癒すということも、許すということでさえも、自分を被害者という位置に留めてしまう。

そして被害者でいるということは、厳密に言えば、それは癒されていない状態なのだ。」

厳しくて躊躇もするけど、これが真実です。

幼児期から虐待されて生きてきた人に、「それはあなたのせいですよ。」なんて、とても言えない。

でも、癒して癒して泣きじゃくって、開放した後には、

「なぜ自分はこの親の元に生まれることを選んできたのか?」というレベルから、人生の深い意図を洞察するような高みに登らないと、この傷は統合できない。

大きな傷を負って生きてきた人というのは、その高みから自己を省みるくらいの境地が備わっているのだと言うこともできる。

小我(エゴ)は、いろんなトラブルに反応して、自分は無力な被害者だと主張するけど、本当の自分である大我は、その時々の体験を祝福している。

実際、ある精神的指導者は、過酷な犯罪の被害者にこう言ったと言います。

「congratulation! やっと、エゴを超えられる時が来たね。」と。