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氷室京介 LAST GIGS 前編 天の采配

 

4月23日。氷室京介のラストツアーに行ってきた。

氷室京介と言えば、70年代生まれの僕ら世代にとって最大のカリスマだ。

僕が熱心にBOOWYや氷室京介を聴いていたのは中学・高校時代で、その後は20年以上離れていたのだが、

去年、ツアー中に彼が引退宣言をしたと聞いて、予想外のショックを受けている自分に気づいた。

彼から受け取らないといけないものがあったのに、それを受け取り損ねてしまった…。

まだまだいつでも会いに行けると思っていたのに、

その可能性が突如、消失してしまった…。

それは何かそぐわない。しっくりと来ない感覚を胸の中に残した。

その後、WOWOWで彼の最後のライブに密着したドキュメンタリーを観た。

美意識を研ぎ澄まして作り込んでいく彼の在り方を見て、若かりし頃にあった(そして今は無くした)創作に対する尖った感覚を思い出し、背筋を正される思いがした。

自分は本当にこの人の影響を受けていたんだなと、様々なシーンや表情を見て思うことがあった。

そしてそのツアーのリハーサル中に氷室はステージで転倒して肋骨を折り、

それによって、彼は30年以上のキャリア最後のライブを、肋骨に痛みを抱えた満身創痍の状態で臨むこととなった。

更に不運は続く。

その最後のライブの後半、突如雲行きが怪しくなり、真夏特有のゲリラ豪雨に見舞われ、球場の客席の数万人のオーディエンスが雨ざらしとなった。

荒れ狂うような雷と豪雨は見るからに危険で、結局、オーディエンスに避難を呼びかけ、ライブを1時間近く中断することとなる。

そして、その1時間によって氷室の身体は冷やされて痛み出し、あと一曲が限界だと彼自身が判断を下さざるを得なくなった。

オーディエンスを客席に戻した後、氷室は痛みに顔を歪ませながら「Angel」一曲だけを歌って、自身の30年以上のキャリアを終えることとなった。

「このリベンジをどこかで必ず、約束します」と言い残して。

****

後のインタビューで氷室はこの一連の不運について訊かれ、

「30年やった最後の最後がこれかよ!と思いますよ」と本当に悔しそうに語っていた。

彼の目が涙で潤んでいたのが驚きだった。

でも僕はあのタイミングの怪我にも、あの荒れ狂うような豪雨と稲光にも、天の采配を感じずにはいられなかった。

氷室京介の美意識は、自身のキャリアをあのような形で終わらせることを受け入れられないだろう。

あの借りは、より一層に研ぎ澄まされた有終の美学を持ってあがなわれるはずだ。

そして、それによって、僕と同じように彼からの薫陶を受け損ねた何万人の人たちが、

自分の過去に種を植えたカリスマとの特別な再会を果たすことになるだろう。

そして実際にそのようになった。

去年のラストツアーのリベンジとして組まれたのが今回のドームツアー「LAST GiGS」だ。

ツアーのチケットは抽選だったが、この流れと自分の中にあった「そぐわなさ」を感じると受け取れると確信していた。

申し込みをして安心の中で待ち、そして初日京セラドームのライブチケットを手に入れた。

かくして受け取り損ないの僕にも、青年期のカリスマと再会する機運が巡ってきたわけだ。

長くなったので、ライブレポートはまたの機会に。

↓こちらに更新しました。

氷室京介 LAST GIGS 後編 忠実であるということ

 

 

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