月別アーカイブ: 2017年11月

意識の錬金術

東京の仕事を全て終えて、自分へのご褒美にと一番高いお寿司の弁当を買って、

新幹線に乗り込む。

自分の中に新横浜を超えるまでは弁当は開けないぞ!という良くわからないルールがあって、

今回もそれに従って、新横浜を越えてからお弁当を開ける。

贅沢なお寿司。

でも、スマホを見ながら食べていると、気付いたら中トロを食べ終えている。

あれ? 今の美味しかった?

慌てて思い出してみたが、曖昧。

 

これはだめだと反省してスマホを置き、目の前の寿司と正面から向き合う決意をした。

そして、丁寧に寿司ネタを見て愛でて、そして口に放り込み、食レポする芸人のようにリアクションしてみた。

う~~~~ん!!旨いっっっ!!(≧∇≦)と、1人新幹線の中で悶絶してみた。

そしたら本当に驚くほど美味しく感じられる。

 

感覚的には普通に食べるのに比べて、200%くらい美味しい。

これは良いぞと思って、今度はウニを食べる。

うぉ~~~~!んんんんんん~うっまぁ~(゚∀゚)と大げさに反応する。

すると味覚が活性化して、味の奥行きまで感じ取れる。

脳は案外単純で、騙されやすいものなんだな。

今度は一緒に買った焼き鳥を一口。

うっっほ~~~~(ノ´∀`*)たまらん!!

恍惚の表情で1人焼き鳥を噛みしめる42歳(笑)

旨い。

これはすごい。

じゃあ今度は、設定を変えようと思いつく。

一週間ヨーロッパを旅して長らく米にありつけなかったところ、帰国して最初の米がこの寿司だとしよう。

うん。そうしよう。

そこで、ハマチだ。

バクっと行くと。

ふっぅうう~。ふっぅうう~、うんまーーーー!!(TдT)

美味すぎて震える(笑)

じゃあ次は戦後だ。今が戦後間もない時代だとして、闇市で米を買ってきて白い飯が食えるよ‥と。そう。戦後…戦後…闇市…闇市…イメージ。イメージ。

そしてエビ。

うほほ~。うんんんんんんんんま~( ;∀;)

って、だんだん疲れてきた(笑)

これ、すごく良いけど消耗も激しい。

 

でもそういうことなんだな。

人は内的には、差し出した分しか受け取れないということ。

 

1万円支払ったら、一万円分を受け取ろうと感覚が開く。

高価な料理だから食材が良くて手間暇がかかっていて美味しいというのはもちろんだけど、

高価な金額を支払った分のバランスと取ろうと、無意識は味覚を全開にする。冴える。

であれば1万円という金銭的コストではなくても、注目やリアクションや意識のエネルギーや想像力というコストを払っても良いわけで。

それは疲れるけれど、意識で価値を生み出す錬金術なわけだ。

そしてその分、しっかり消耗もするわけだ。

ここでも意識の運用。

僕は外側に高価な何かを用意するよりも、内側の感性によって世界を変えるようなやり方が好きなんだな。

外側は変えずに、意識の運用によって体験を自由に開放する。

そういうやり方が好きなんだな。

何も持たずに増やさずに、身軽であることは何ものにも変え難く気持ちが良いから。

答えに力は無い

みなさん。こんにちは。

お元気にされていますか?

今日は久しぶりに一日休みを取って家でゆっくりしています。

長らく降り続いた雨も上がり、台風も通り過ぎ、良い天気ですね。

温かい部屋でゆっくりしていると自然に心が緩んで、

普段の仕事モードの時よりも深く広いところにまで心が広がります。

「あ、そういえばあの子最近どうしてるかな、元気かな?」とか、

「そうだあれをやりたかったんだった…」とか、


そんなことがポツポツと心に浮かんできます。

普段届かなかったところにまで意識が届いて、心の周辺に隠れていたひかえめなニーズがポツポツと顔を出して、今日はそれに丁寧に応えています。

そうすると良いものですね。

心の内側が息を吹き返したようにフワッと広がって、自分の中に一致感が出てきます。

自分のニーズを無視するために無意識に固くしていた心も、その必要がなくなり緩みます。

ここでもう少しゆっくりして更に緩むともう一層深い心のフタが開いて、

しょーもないこととか、ろくでもない考えが出てきて、深夜にどうしようもないダメな映画を観たりするのでしょうが(笑)

今日はそれは止めておこうと思います。

今日は良い天気だし、あくまで爽やかに行きたい。

静かに瞑想したり、丁寧に部屋を片付けたり、書類を処分したり計画を見直したり、

身の回りを今の自分の内面に合うように整え直したり、

余分なものは捨て、今の自分にとっての真実を表しているものだけを残していく。

過去の自分の思いつきの夢から選んだ本やアイテムを処分して、

誰かの声に刺激されて選んだもの、自分の声ではないものは手放していく。

そうすると更に自分の内と外に一致感が出てきて、自分のエネルギーの源につながり直すことができます。

心に力が取り戻されていきます。

そんな風に過ごしていると、いつからか心に大きな問いが浮かんでいることに気づきます。

『本当のところ、自分は誰に貢献をしたいのだろうか?

  誰に、どんな感性に、奉仕したいのだろうか?』

その問いと向き合い、更に瞑想を深めると明らかになってきます。

自分の中にしっかりと根ざした方向感が生まれて、情熱が流れ出てくるのが分かります。

こういう体験をする度に思います。

答えが正しいかどうかが重要なのではなく、

正しい答えを知っているかどうかが重要なのでもなく、

その問いにどれだけ真っ直ぐに向き合えたか。

そして答えをどの深さから引き出したかが重要なのだな、と。

大人は「これが答えだから、これを選んで進みなさい」と教えてくれます。

でも子供はそれには納得が行かず、受け取らずにしばらく引きこもって自分で考えます。

あるいは思いのままに動いてみては失敗を重ねます。

そうやって、1人で考え抜いた挙句にたどり着いた答えは、

失敗を繰り返した先にたどり着いた答は、

最初から大人が教えてくれていたものと同じものだったりします。

「ほら、だから言ったでしょ。素直に言うことを聞いてれば良かったのに」と大人たちは言います。

でも違うんです。

正しい答えが未来を作るわけではないんです。

その答えに自分はどれだけのコストを払ったのか。

その答えを自分のどの深さから掘り出したのか、

それがその人の未来を創る力なのです。

黙想や行動の末に導きだした答えは、成長への力動を含んでいます。

それは単なる情報ではなく、力なのです。

「問うこと」とは「考えること」ではなく、「自分の力の源泉を探り当てること」なのです。

大量の正しい答えに晒され続けた結果、自分の力の源泉につながることができなくなっているとしたら。

深さから出てくる力を感じられなくなっているとしたら。

それはとても不幸なことですね。

まずは捨てること。

静かに休み、自分とつながり、心に問いを置いておくことですね。決して考える事は無しに。