死者への貢献

今日は良い天気だ。

最近は深いテーマを扱う仕事(心理療法)が増えてきた。

先祖の代で起こっていた誤解やもつれを解いて、止まって流れなくなっていた愛情の流れを回復するということをやってる。

変化は本人のみならず、この場にいないクライアントの母親が劇的に変わったりするから不思議だ。

私自身も家系の癒しを扱う時が一番天職な感じがしている。

クライアントのご先祖の代の痛みを癒やし、ほどき、そう振る舞わざるえなかったところにある隠された愛を発見する。

セッションが終わった後、なんだか部屋の空気がキラキラしているように感じる。感謝と祝福が舞い降りてきているような気がして、幸せな気持ちになる。

 

『私の名誉を回復してくれてありがとう』

 

そう言われているような気がする。

私が救いたい人、貢献したい人というのは、どうやら生きている人たちだけではないようだ。

亡くなった人の声なき声を拾い上げ、代理人を通じて激しく溢れ出す感情の激しさを目の当たりにする時、これが自分の仕事だなと思う。

その度に寡黙に生きた死者達への敬意と絆が深まって行く。

 

さあ、今日はあと2本。

良い仕事をしよう。

山頂にて誰を思うか

元日の今日、ひととき家族を離れて1人で山に登った。

山頂付近から見える海。

太陽の光を照り返して、瀬戸内の海は光っていた。

高校生の頃、友人と山に登って同じような景色を一緒に眺めていると、

「こういう時って、自然にあいつのこと考えてしまうな。」と当時彼が恋していた相手のことを言っていた。

そうかもしれないと思った。

恋とはこういう景色を見た時に、自然に心の中で相手を想うことを言うのかもしれない。

そんなことを思い出しながら、では42歳の自分は今この景色を見ながら誰を想っていたか?と振り返ると。

自然に心が求めたのは誰かというと。

僕の心が求めたのは…。

 

鑑真である…(笑)

 

大丈夫か…。なんかだいぶ急ぎすぎてる気がするぞ…。

今から1300年近く前、鑑真はなぜ5度も渡航を失敗するほどのリスクを犯しながら、両目を失明するほど疲労困憊しながら、海を渡り異国の日本に戒律を伝える決意をしたのか。

日本からの要請があったにせよ。自国の反対を押し切り、命をかける程の行動を支えたものは何だったのか?

その心の有り様を理解したかった。

そこに何か大きなヒントがある気がする。

 

光る海を見ながら岩場で瞑想し、鑑真のその大きな心に自分を重ねてみる。

1300年の時を超えての愛慕。

もはや出家してしまいそうである…(笑)

 

ということで(どういうことで?)皆様、明けましておめでとうございます。

今年もこんな感じでいろんな時空を生きつつも、2018年的な現実をしっかり見据えて地に足をつけて歩んで行きたいと思います。

どうぞ今年もよろしくお願いします。