カテゴリー別アーカイブ: 願望実現

流れこそ状態なり

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ポジティブ思考とかいう言葉がもてはやされて、ポジティブな考え方で心をポジティブに保とうとしたりするのが今の本屋さんに並んでる心理系の本のおおかたの主張なわけだけど、それは本質ではなく、

心がポジティブに保てるかどうか。

それを決定付ける本質は、

『交流が無く流れが止んだエネルギーは必ずネガティブになる』という所にあります。

与えては受け取り、受け取っては与え、心は流し続けていてこそ自然なのです。

流れを止めたり流れが淀むと、そこに憂鬱や自己否定が忍び寄ります。

だからそんな時、人は無意識に無駄な買い物をしたりしてお金を通じてエネルギーを外に出したりします。

内から外へ外から内へと、心とは流れている状態こそが自然なのです。

「自信が無い…。」という人に対しても同じことが言えます。

「私はできる!」とポジティブなアファーメーション(自己宣言)を繰り返すことで、自信が養われますよ。とか。

NLPの心理ワークでイメージを操作すれば心が変わって、セルフイメージが上がりますよとか。

もちろんそういった方法は補助的には有効なのだけど、どんな強烈なワークも本質は偽れません。

『自信』とは自分から社会へ、社会から自分へと通せるエネルギーパイプの太さを言うのです。

小さなエネルギーしか流さずに「自信がある」なんて思えるとしたらそれは執拗なアファーメーションとイメージングの結果、自己認識が歪んだということです。あるいはまだ外の世界を知らないのです。

心が沈んだら、

ポジティブ思考なんてほどほどで良いので、

自分の中にどれだけのエネルギーを通せているか。

止めているところが無いか。

そしてエネルギーのパイプを自分が心地よいと思える範囲でもう少し拡大できないか。

あるいはインターネットや組織などの仕組みを使って、疲弊することなく効率よく自分のエネルギーを世に流す方法が無いか。(まずい経営者のまずいビジネスモデルなど、返ってこない場所にエネルギーを送ってないか。)

その辺りをチェックするようにしましょう。

完全な休息(停止)よりも、心地良いエネルギーの流れをマネジメントしましょう。

幸せなライフバランスを保つにも豊かさを得るにも、そのあたりにコツがあります。

恋人を得るためのシンプルな方法

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ん? 恋人? 得る? 方法?

このブログってそんなテイストな場所でしたっけ…? っと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが心配ありません。その違和感。僕もしっかり感じてるのですから…(笑)

元々は内輪的な場所に書いた記事ですが、反響が大きかったので公にしようと思ったものの、僕のブログにはこの手の記事にぴったり来る場所が無くてですね。

まわりまわってここに来ました。

どなたかのヒントとなれば幸いです。

※女性の場合は「彼女」を「彼氏」に置き換えて読んでくださいね。

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例えば

彼女が欲しいときの心の中の設定として、

【目標】素敵な彼女を作る!

【そのための行動】出会いの場に行く。デートに誘う。

として、

実際に行動して上手く行くのであればそれで良いのですが、なかなか上手くいかない場合は目標設定を変えてみましょう。

【目標】女の子と心を通わせる喜びを体験する。お互いのことを知っていくワクワクを体験する。女の子と生活の機微を共有する喜びを味わう。

つまり、何を得るか?(Have)ではなく、その関係を通じてどう在りたいか(Be)を目標にする。

そうすると、

【そのための行動】…いったいどうすればいいんだろう?

と、問いが出てきますね。

そこで心底考えるのです。

どうすれば、そのような目標を達成できるのだろうか? 問い続けることで無意識の再構築が起こります。コミュニケーションの質が微妙に変わります。

彼女を得たいがためにやってきた形骸化した言葉のやりとりではなく、実を伴った心の交換が行われるようになります。

その女性が好いてくれているか、彼女になってくれるかはひとまず置いておいて、その子との時間の一瞬一瞬を、「喜びを味わう」という所に意識をフォーカスして丁寧に過ごすわけですね。

「好かれてるかな?」とか「何を話せば良いのだろう?」という不安が頭をよぎったら「今この関係において私はどんな感情を感じたいのだろう?」と問い直しましょう。

そうすると、行動(Do)ではなく在り方(Be)に意識がいき、味わうことができるようになり自然な言葉が出てきます。あるいは実はそれほど言葉は必要ないのかもしれません。

このように「在ること」「感じること」を習得すると、女の子が付き合ってくれるくれないは全く関係なく、食事だけでも女の子の与えてくれる喜びや恩恵を受け取れることに気づきます。目標を達成できるわけです。

その結果、ありがたいな。嬉しいな。女の子って素晴らしいなと、感謝とともに女の子が与えてくれる美を受け取ることができるようになります。

そして、この喜びや感謝や女性を祝福するエネルギーが自分の中に満たされていき、その心の在り方が備わってくると、自然に女性から愛されるようになります。

思いやりに純化された男性エネルギーと女性エネルギーの交換を起こすことは、男女お互いにとってこの上なく甘味な体験であり、人生の悦びそのものなんですね。

そして、それは付き合うかどうかには全く関係なく、肉体的な関係からも自由で、普段のコンビニのレジのおばさんとの交流の中でも起こすことができるものです。

余談ですが、男女のエネルギーが祝福とともに混ざり合うとお互いのエネルギーが増えます。物質レベルでは子供が生まれますね。物質を介さなくてもエネルギーそのものが増えるのです。

で、その増えたエネルギーをどこに注いでいくのか。

そういったエネルギーの運用が現実創造のコツなんですね。

以上、ちょっと着地点がズレましたが、『恋人を得るためのシンプルな方法』でした。

 

始まりは「直視する」ことから

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人生を根本的に変えようとする時、最初にしなければならないのは「直視すること」です。

「目標設定すること」でも「行動すること」でも「学ぶこと」でもありません。

「直視すること」がスタートなのです。

自分の現状とまっすぐに向き合い、恐れて見ないようにしているもののフタを開けて、その現実の肌触りを確かめ、それとともに自分の中に沸き起こってくる恐怖を受け入れて味わい尽くすこと。

それは正直になるということに似ているかもしれません。

自分が目を背けているものを見て、隠している感情を受け入れる。

これはとても厳しいプロセスで、内面は嵐のように激しく揺れ動きますが、嵐とは必ず通り過ぎるものです。

その嵐に吹き飛ばされないようにしがみつくべき手綱は、自分に対する徹底した「正直さ」と「誠実さ」そして「呼吸」です。

それさえ掴んでいれば、嵐があなたを吹き飛ばすことはありません。

直視するというプロセスを通過することで、嵐の後に清々しい空が広がっていることに気付き、いくつかの恩恵に似た選択肢を発見し、深い腹の底からの決断をもってそれを選択することができます。

人はこのプロセスを通ることを怖れるあまり、まるで怖れをまぎらわすかのように目標を設定したり行動したり、思考したりします。

でも、厳しい言い方ですが、そのような目標や行動や知識は、怖れを覆い隠すことは出来ても、本質的な変化へと自分を押し出す力を持たないのです。

本質的な変化とは、その問題解決のプロセスを通じて自分の霊性が進化し、境地が1つ高まり、それ以後は見える景色が変わってしまうような不可逆的な変化のことです。

そのような変化は、自分の恐れを直視して正直になっていくことを通じて、その土壌が用意されます。

「目標設定」や「行動」はその後にくるものです。

これまでにあれやこれやと前向きに目標を設定したり行動しているにも関わらず「変わらないな…。」と感じている方は、

「目標」や「行動」や「学び」をひとまず横に置いて、より一層正直に自分の内側に降りていきましょう。

今の現状で、あなたが最も恐れていて、最も見ないようにしているものは何でしょうか?

感じないようにしている感情は何でしょうか?

無かったことにしている小さな嘘は? 小さな不誠実は?

そこに光を当てましょう。

文学がじわじわと人生に効いてくる

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唐突に僕の人生語りから始まりますが…(笑)

僕はもともとは文学畑の人間なのですが、大学を出て働き出してから10年以上は、ほとんど小説や文学作品というものを手に取ることをしませんでした。

その代わりに、『小予算で顧客を獲得する方法』とか『ユダヤ大富豪の教え』など、文学的な感性からすると恥ずかしいくらいに卑俗なタイトルの本を、カバが水を飲むみたいに次々に読破していきました。

お金を稼いで食うための力を身に付けなければならない。家族を養わなければならない。

そういった現実的な課題に直面する20代の多くがそうであるように、小説家が作った架空のお話しに付き合っているような暇を持てなかったのです。

それはとてつもなく無駄な贅沢品に思えました。

「この本を読むことに気晴らし以上に何か生産的な意味があるのか?」

「それを読むことは僕の人生に経済的な価値を生み出すのか?」

そういったプラグマティックな質問を持って文学作品を眺めてみると、その問いを越えて僕の心に訴えかけてくるような本は皆無でした。

ところが37歳になった今、これまでの自分の人生の流れを俯瞰的に振り返ってみると、思った以上に文学が効いていることに気付きます。文学が僕の人生を形作っていると言ってもいいかもしれない。

それは『小予算で顧客を獲得する方法』を読んで、実際に顧客を獲得できるようになるような分かりやすい影響ではないにしても、それでももっと深淵な形で文学や小説は僕の人生に影響を及ぼしている。

例えば、僕の今の暮らし。

家族と住んでるマンションがあって、そこから自転車で10分の場所に仕事場のオフィスがあります。

僕はそのどちらに寝泊まりしても基本的には自由で、その時の仕事の気分に応じて行ったり来たりして生活しています。

そして時にはオフィスに篭って個人としての僕を保つことで、子供達とも個人的な人間として静かにゆったりと語らい向き合うことができる。そういう暮らしをしようとしています。(どこまでできているかは別として)

これらの暮らしの雛形となるアイデアは、高校生の頃に読んだウィリアム・サローヤンの「パパ・ユー・アー・クレイジー」という本の世界観と主人公の生き方、家族のあり方がそのままベースになっています。

思い返せば確かに17歳の僕はその本を読んで、明確に願ったのでした。

「今はどんな職業に就きたいかは分からないけど、この本みたいに静かにゆっくりと生きていくんだ!」と。

そしてフリーで生きるという今の仕事の仕方も、名前は忘れましたが高校生の頃に読んだ氷上なんとかという女流作家の短編小説で感じた憧れが、無意識の奥底で僕を動かしていました。

それ以外にもちょっとここでは書けないようなドロドロとした(村上龍的)人生経験も、10代の頃に彼の小説を通じて想像力を広げた世界が、20年を経て現実となって(良くも悪くも)再体験されているのだと付きます。

こうして見てみると僕の現在は、文学作品によって無意識に撒かれた種が、ゆっくりと長い時間をかけて花開いたものなのです。

もちろん意識の上ではそんなことは全く忘れていて、日々、目の前のやりたいことをやったり、仕事に追われたりしているだけなのですが、無意識の中に植えられた種はゆっくりと時間をかけて根を張り芽を伸ばし、気づけばそれを人生に具現化してくれていたのです。

でもどうして文学にそんな力があるのでしょうか?

心理療法を仕事にしている今では、その秘密がとても良くわかります。

物語は無意識の奥の奥に作用します。

そしてそれを映画のような映像作品ではなく、書き言葉によって体験すること。それは他者によって押し付けられたイメージではなく、作者の言葉を触媒に自分の内側にあるイメージを引き出していく作業です。

だからその世界は作者のものでありながら、無意識はすでにそれを自分のものとして受け入れて経験しているのです。

作者の言葉と自分のリソースとの共同創造によって、自分のイメージを広げ、物語として織りなしていくこと。それはコーチングによく似た現実創造の訓練なのです。

さてさて、ここで村上春樹です。

彼は僕らに何を与えてくれているのでしょうか? 彼は僕らの無意識にどんな種を植え、何を花開かせようとしてくれているのでしょうか?

それは1つに「深く深く内向する技術」ですね。

豊かな言葉を使って自分の内側に下りて行く技術。そしてその内向したリアリティーのまま現実世界を生きるという、一風変わった世界との関わり方を練習させてくれています。

そしてもう1つは「失意や喪失感から立ち直るための内的な道筋」を与えてくれています。

現実に何かを喪失したり心に深い傷を負った時に、ちゃんと無意識的に立ち直って来られるように、癒しと再生の道筋を僕らの無意識にしっかりと刻んでくれています。(実際にどれだけその道筋に助けられているのか、意識はそれさえなかなか気づかないものですが。)

そして、今回のつくる君です。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

この物語は私たちの中にどんな種を植え、どんな道筋を作ってくれるのでしょうか?

(実は別に意識でそれを理解しなくても良いのですが。よくわからないけどなんか好きで読んでしまうというのが十分に種が機能している証拠なのですが。)

一度ご自分の感覚とイメージを使って体験してみてはいかがでしょうか?

このGWは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をオススメします。

他者の力で夢を叶える

先日は主催している月1のワークショップでした。

そこでビジネス書の名著『7つの習慣』の中の幾つかの考え方やフレームワークを使って、今の自分の生活や方向性を見直すことを行いました。

ちょうど開催日の3日前の7月16日に、著者であるスティーブン・コヴィ博士が逝去されたのを知り、こんなタイミングで彼の知を使ったワークショップをすることになった偶然に驚き、背筋を正される思いがしました。

氏の偉大な仕事に最初に出会ったのは10年以上前。大学を出たての頃に本屋で手にとったこの本(7つの習慣)によってでした。

当時の僕は文学畑の人間で、ビジネスや自己啓発という概念を持ってなかったため、何を言ってるのかさっぱり理解できなかったけれど、それでも何かとても大切なこと、人生に激変を起こすような何かが書いてありそうな雰囲気だけは肌で感じていました。

それから『7つの習慣』は引っ越しのゴタゴタで処分されたり、また古本屋で100円で買い戻されたり、誰かにゆずったり、また買い戻したりしながらもご縁は続き、その度に少しずつ氏のフレームワークは僕の人生を修正して行き、ついにはそれを人に伝えるというところまで育って行ったわけです。

この偉大な恩恵に感謝しつつ、氏のご冥福をお祈りいたします。

さて、昨日は「重要ー緊急のマトリクス」と「卓越した役割」というテーマを使いましたが、その中の役割の部分の掘り下げはとても面白かったので、少しシェアしたいと思います。

1人の人間の中にはたくさん人格、役割があります。

会社の一員。上司、部下、父親、夫、主催者、PTA役員、芸術家、恋人、友人、遊び人 などなど。

これらいろんな役割が、生活の様々な側面で顔を出している。

だから、「自分を成長させよう!」とか「自分を向上させよう!」というような曖昧な方法ではなく、自分の中の1つ1つの役割にフォーカスして、役割ごとに育てて行こうというのが、コヴィ博士の考え方です。

自分の中に役割というたくさんの鉢植えがあって、それぞれに育て方が違うから、あるものは日陰に置いたり、あるものは日差しと水をたっぷりやったりしながら別々に育てて行くわけです。

面白い考え方ですし、心理学的に見ても真実ですね。

そして、それぞれの役割に一日にどれだけの時間を配分しているかを見てみると、自分が無意識に選んでいることが客観的に見えて、驚きます。

発揮できていない役割が怒っていたり。人生において一番大切だと思っているものを後回しにしていたり。十分に発揮しているつもりが0分だったり(笑)

更にこの「役割」という考え方に、いろんな質問をしていくと、自分の様々な側面が明らかになっていき、自分が今フォーカスするべき役割も見えてきて、進むべき方向が明かされて行きます。

そんなお話しとワークだったわけですが、準備しているうちに出てきた思いとして、個人的にとても強く訴えたくなったメッセージは、

役割には必ず相手がいるということです。

父であるには子供という相手がいる。上司であるには部下という相手がいる。カウンセラーであるにはクライアントという相手がいる。

それは、哲学的に言うと、相手が自分を存在させてくれているということです。

子供ができるまで、僕の中には父親という役割もキャラクターもありませんでした。でも子供が生まれたことで、庇護を必要とする娘たちの存在が僕を父親として存在させたのです。

同じように困っているクライアントが僕をカウンセラーとして存在させている。

他者が自分の人格や役割を支えている。他者が自分の存在を支えている。

さて、大切なのはここからです。

何かを目指そうとした時、最初は自分の存在を支えてくれるような他者は存在しないということです。

例えばもしあながたカウンセラーを目指しているとしましょう。

カウンセラーになると決めた時、「助けて欲しい」とあなたを求めてくれるクライアントはいません。だからあなたはまだカウンセラーとしては存在できないのです。

でも、それでも想像するクライアントに向けて、何かを発し続ける必要があるのです。

誰も自分ことなど求めてはいないのだけれど、助けを求めているだろう想像上のクライアントに向けて、言葉を発し続ける。学びを続ける。ブログを書き続ける。

そうするとやがては、それを見つけてくれる誰かが現れて、そのうちの何割かはあなたの能力を強く求めてくれます。

こうしてはじめて、その役割はこの現実世界に存在し始めるわけです。

だから想像の相手に向けて、自分の今持てる最高の言葉と才能を与え続けなければならない。

それは返事の無い相手に気持ちたっぷりのラブレターを送り続けるような不毛で消耗する作業だけど、それでもそれをやり続けなければならない。

ただし、ここに陥りやすい落とし穴があります。

多くの人が陥る落とし穴。

それは、カウンセラーとして想像上のクライアントに言葉と行動を発するのではなく、

「カウンセラーを目指す人」として言葉や行動を発してしまうことです。カウンセラーを目指す人としてブログを書く。カウンセラーを目指す人として勉強を重ねる。

その結果はどうなるでしょうか?

「カウンセラーを目指す人」に対して相手が生まれるので、当然「カウンセラーを目指す人を応援する人」という相手がたくさん集まって賑わっていきます。

そのような相手に支えられて、その人は「カウンセラーを目指す人」という存在になります。決してカウンセラーになるのではなく。

他者という偉大な力を使って、「目指す人」という夢追い人であり続けてしまうのです。

だから目指すのではなく、まずその者として立ってください。

誰も求めてくれる人がいなくとも、その者として立ってください。

そしてその位置から言葉を発してください。現実の創造はそこから始まります。