ふと冷静になって自分の姿を客観視してみると、なんとも異様なことをしているのだと気づいてゾッとすることが人生にはある。
個人の日常の営みの全てが、仕事、休み、食事、娯楽、と綺麗にカテゴライズされていくわけではない。どこにも入りきらずに境界を跨いだまま意味不明で横たわっている営みもある。
平日の昼休みに、PCモニターの廃墟の画像を眺めながら昼食を取るというのも、そんな営みの1つだろう。
いったい僕は何をしているのだろう(笑)
ちょっと疲れているのだろうか?
廃墟萌え。
ほら。この感じ。なんだろう。
名画を鑑賞する以上に、自分の中の深い何かにヒットする。
しーんと心が静まり返る。
この感覚を初めて自分以外の人の中に見つけたのは、梶井基次郎の「檸檬」の中の一節だった。
こんな一節がある。
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何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
~~~「檸檬」梶井基次郎~~~
基次郎。あんたもか。
あんたもまあまあ病んでるな。
ほんの数十年前までは、ここには確かに人の営みがあり、賑わいがあり、誰かの思いがあり、何かが交わされていた。
それが今は痕跡だけになっている。静かに意識を合わせれば、当時の人の賑わいを感じ取れるような気もする。
栄枯盛衰。ここに写し出されているのは時の流れか、人の営みのはかなさか。
う~ん。たまらん。
とか思いながら昼食を食す(笑)
さて、あなたはどうだろうか?
あなたの中にも基次郎と同じ、惹きつけられる何かはあるだろうか?
よかったら、廃墟でも見ながら昼ごはん食べてくださいね。
【お勧めサイト】
「撮影した廃墟画像をだらだらと貼っていく」 http://hamusoku.com/archives/3912951.html
「TEAM廃墟」
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/
でもくれぐれも長いは禁物ですよ。妙な感じになります(笑)
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