なんとなく、平日に1人で実家に帰るということをしなければならないような気がして、今日、それをしている。
1人で電車に乗って、田舎である相生市に向かっている。
この「なんとなく」という感覚は、人が自分自身の人生を生きる上でとても大切な感覚だと思っている。
なんとなくその時期が来た。とか、なんとなく自分がそれをやるべきな気がする。とか。
その「なんとなく」こそが直感の声だ。
思考で考えたものは直線的な因果律で導き出した答えだが、
直感の声は、潜在意識の中の数十から数百の自分が会議で話し合った結果出た結論だ。
だから、思考で導いた答えより遥かに深い意図と恩恵が隠されており、そして数百の自分の合意なので、それを実際に生きることは外側の現実と自分との深い調和をもたらす。
ただ、その声が何を意味しているのか、数百の自分はどんな意図でその行動を「なんとなくするべきだ」と導いたのか、普通はわからない。
よほどの訓練を積んでいない限り、意識は潜在意識の意図を理解できない。
でも、それはおいおい明かされていく。
意識からすると直感というものは唐突で、まず「なんとなくそれをするべきな気がする…」という結論が先にあって、
それを実際に行動に移しつつ自分の感覚を確かめることで、なぜそれをする必要があったのか、その理由が明かされて行く。
答えが先。
理由は後。
それが直感に従って調和した人生を生きる上での「コツ」のようだ。
人生を上手く生きられている時は、波に乗るように内側の情熱に従って動いているだけで、後々になって、謎が解けていくようにその行動の意味や理由が明かされていく。
まるで上質な冒険小説みたいに。
というわけで、僕はなぜか平日に1人で田舎に帰らないといけない気がしていて、そしてそれが何を意味するのかは徐々に分かってきているのだけど、それが本当にそうなのか、
それとも今自分が思っている以上に大きな何かがあるのか、それとも単なる思い違いなのか。
それを確認するために今、相生市に向かっています。
[…] >>前回の記事『答えが先で理由は後』 […]
すごく良くわかります。なんとなく・・・
言葉にならない感覚。
ああ~、そうゆうことだったんだ・・・と理由がわかるのは後からです。