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縁ある世界を巡る

最近になって、人に対して縁というものをよく感じるようになった。

お会いして話すうちに、自分とその人との間に固有の意識世界が生まれ、更にその先に豊かな広がりがあるような感覚があると、

あ、この人とは縁があるんだな…と思う。口には出さないけど、思う。

そして、流れに任せておくと、やっぱり何かが展開されて行く。

お互いに他では得られなかったかけがえのない質感を得る。

あぁ、やっぱり。何かの同士なんだな、と思う。

やがてもう少し具体的な現実が生み出されるかもしれないけれど、それは流れに任せておく。

執着しないし、拒否もしない。

縁とは不思議なもので、ちゃんと繋がるもののようだ。

そのためには、より多くの人に自分を知ってもらおうと要らぬ色気を出すよりも、純度の高い自分の本質をそのままに出すことの方が遥かに大切だ。

純度の高い本質のエネルギーは、縁ある人にだけはどうしようもなく届く。響く。

誰かを介してでも、嘘みたいな偶然を使ってでも必ず届く。

そんなこと、これまで考えたことも無かったけれど、自分に起こっていることを見ると、どうやらそれが真実のようだ。

最近私は自分の中のエゴや肩書きやプライドや夢やセルフイメージといったものをできる限り捨てて浄化して、何者でも無い自分に戻すことを意識的にやっていた。

瞑想の中で大切に握っているものを手放して捨てて、やがては自分の名前も個性も捨て、生きてきた物語も捨て、ただの存在へと純化させる。

そうしていると面白いもので、出会う人に縁を感じる度合いが増えてきたように思う。

内側の純度を高めると外側の純度も高まり、現実の運びもスムーズになるようだ。

縁ある人と出会って、その人が持つ自分には無いエッセンスを受け取ってそれを自分の一部とし、同時に相手には無い自分のエッセンスを与える。

そうやって交換し響き合うことで、お互いが出会う前とは違う存在になる。

その意味で、人との出会いとは巡礼そのものだ。

そして中には、ある瞬間に交錯するだけの縁もある。

その瞬間にエッセンスを交換して、すぐにまた別々の道を行く。

でも寂しさは無い。

縁があるから。

その人との間にだけ生まれる固有の意識世界は決して失われることなく、また2人が話せば変わらずそこに生じるということを、今ではもう知っている。

他の誰かではない、2人の間にだけ生まれるイメージ空間。

私たちの間にだけ生じる巡礼地。

望めばいつでもそこに帰って行ける。

面白ものだなと思う。

自分はいったいどこに導かれるのか?

エゴの予想を手放していると、縁が次の行き先を見せてくれる。

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