3月も残すところ数日となり、今日は骨休めに1人で実家の相生市に帰省して、1日山に篭っておりました。
たまに人間の意識世界を離れて、山に1人になってリセットしたくなるんですね。
そんな時に実家が程良い田舎にあって程良い高さの山があるのは本当に助かるなと、最近になってそのありがたさを噛み締めております。
子供の頃から慣れ親しんだお気に入りの山があります。
久しぶりに行ってみると、いつもの登山口に新しく看板が立てられてました…。
天空のパワースポットって…。この色使い…。パワースポットブームに寄せて来たな~と笑ったけど、確かにここはパワースポットなんです。そこらの裏山とは氣が全く違います。
充電される。
でも一番ありがたいのは、平日に行くと自分以外の人がほとんどいないこと。
都市に住んでいると、周りに誰もいないという感覚がとても貴重に感じます。
山に入って1人で歩きだすと、人間の意識世界を離れて自分が野生に帰っていくような、呼吸がしやすくなるようなホッとする感覚。
心が静まってきます。
立派に生い茂るシダ。
普段意識しなくとも人は周りの人間とエネルギー的に作用し合いながら生きているんですね。
山に入ってしばらく歩いて半径1キロ以内に人が誰もいないような環境に身を置くと、そのことが体感で分かります。
身体から何かがほどけるような感じがあり、自分でも驚くほど心が静かになります。
自分は普段からこの状態に戻りたいがために瞑想を取り入れてるんですね。
でも都会での瞑想ではここまではなかなか難しいですね。
どんなに頑張っても半径20m以内には誰かいますもんね。
でもここでは誰もいない。人の意識が無く自然の木々や鳥たちしかいない。
その子たちと同調することの心地良さ。
僕は小学生の頃から、学校から帰ると1人で山に入っていく子供だったのですが(危ない子ですね)今思うとそうやって意識のリセットをしていたんですね。
そしてその必要性は大人になった今でも大いにあるようです。
誰もいない休憩所でゴロンと横になって空をながめつつ、ホトトギスやキツツキの声を聞いている。
ゴロン…。写真が逆になってますけど空見てるので、こんな感じです。
自分の周り半径1キロ(もしかすると5キロ以上?)の範囲内に人間が1人もいないと、自分がどのような意識状態になるのか、
もしかすると生涯に一度もそれを体験したことの無い人も多いのかもしれませんね。
一説には人間のオーラ場は半径15メートル、魂の身体に至っては150メートルにまで広がっていると言われています(僕が見たわけではありませんが…)
だからそこに人がいると意識はしていなくても、都会に住んでいるだけで無意識に多くの人と混ざり合ってるんですね。
ではその混ざり合いが無くなるとどうなるのか?
半径数キロに人間がおらず自然だけがあるような環境では自分の心に何が起こってくるのか。
自分の心がどれほど静まるものなのか。
自分の内側からどのようなフィーリングが現れてくるのか?
この感覚を普通の暮らしの中で何気なく味わえていたのは、もしかすると田舎育ちの人間の特権なのかもしれません。
そんなことを考えつつ登ること数10分。
途中に小さな洞穴があって、その奥に地蔵様が祀られていてます。いつもそこで瞑想するのですが、今回行くとその入口付近にも新しく看板が立っていました。
なるほど修験者の修行の場だったんですね…(知らなかった(笑))
詳しい説明もありました。
岩の奥の龍脈の近くで修行できるように、修験道の行者によって人間の手で掘られた洞窟なのだとか。
掘られたのが江戸時代以前で、昭和30年ころまでは修験者が常駐していたのだとか。
馴染みある場所に意外に深い歴史があるのは興味深いですね。
神聖な場所なので洞窟の写真はやめておきました。
それは、あなたがご自分で来た時のお楽しみということで(誘ってるのか…!)
だいぶ高くまで登ってきました。
この感じ。
ホー…ホケキョ!言うてます。
途中、春を見つけたり。
そして頂上に近づいてくると、天に登った感がすごいです。
この感じ。
ものすごく登った感がある景色ですけど、実は20分ほどです(笑)標高わずか300m程度でこの達成感を演出してくれる景色は助かってます。
岩場で景色を眺めつつ1人でしばし瞑想。
神よ…!出でよ…!と念じてみる大人の遊び…。
ぱかーっと空が割れ。ええ雰囲気出してくれます。
しばらく1人でぼーっとしていると縮こまっていた気持ちも大きくなって、リフレッシュしてきます。
都会生活だとこんなに広い空間にまで意識を広げること無いですもんね。
できれば毎月来たいくらいですが、なかなかね。
頂上にはこんなボックスが。
登山ノートを開いてみるとこんな強者が。
毎朝登り続けて今朝で3970回目の登頂だったよう。
本当に行者がいるんだな。10年か…。毎朝か…(ちょっとうらやましい)
こんな意識状態から一日を始められるなんて気持ちが良いだろうな。
でも、こういうのは老後の楽しみに取っておこう。
まだまだ仕事で貢献したいし俗世にまみれたいぞ。
さあ下界へ。
日も傾き、1人帰路についたのでした。
そこに戻れば自分をチューニングし直せる場所があるというのは、ありがたいものですね。
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