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気高さに向かわせる力

 

名探偵コナンが遭遇した殺人事件が600件を超えたそうだ。(なんという高校生だ!)

でも毎週毎週、謎は解かれなければならないし、そのためには誰かが死なないといけない、という大人の事情があるのだろう。

そして登場人物の中でおおよそ最も平凡そうな人間こそが真犯人で、

その犯人だって本当は悪い人ではなく、誰か愛する人の無念を晴らすためにやむなく人を殺めるに至ったのだろう。

面白いもので、僕らはそういった物語、復讐劇を一定のリアリティーを持って受け入れている。

騙されて会社を乗っ取られて自殺した父のための復讐とか。

大学の研究成果を教授に奪われて、失意の中で自殺した恋人のための復讐とか。

フィクションの世界では必ずと言っていいほど出てくる、こういった王道な復讐劇だが、考えてみると現実のニュースではまず聞くことが無い。

あるのは痴情のもつれか、金銭のもつれか、動機なき殺人ばかりだ。

心無い若者の無免許運転によって愛する我が子を轢き殺された父親も、いじめによって子供を失った母親も、憤りの先に復讐に手を染めることはまず無い。

なぜだろうか?

愛する我が子を失ったという現実を、痛みを、どのように解釈して、どのような意味を与えてその不条理を自分の運命として飲み下したのだろうか。

その痛みを受け入れるプロセスで人はどこに連れて行かれるのだろうか?

私は心理療法家として、多くの人のその受け入れのプロセスに立ち会う。

クライアント自身が現実に直面し、苦痛と悲しみにあえぎ、涙を流すのをただ横に寄り添いながら、見守っている。

その瞬間の激しい感情の震えと凝縮されたエネルギー場に立ち現れるのは、非常に神聖で気高い感覚だ。

人生のエッセンスに触れているような確かな手応えのようなもの。

不謹慎ではあるが、心が洗われるようにさえ感じることがある。

そんな場面に一緒に立ち会っていて思うのは、不条理な現実に直面すると、人は自然に偉大さに向かって引き上げられるようにできているということ。

出来事を自分事として直視し、痛みや悲しみを味わい、自分の運命として受け入れる中に、神々しいと言って良いほどの癒やしが立ち現われ、

人間はそこで気高さに向かって引き上げられる。

そうなると、もう事件の前と同じ自分ではいられない。

私的な自分から公的な自分となり、社会に何かを与えることで事件に気高い意味を賦与しようとする。

そこには、フィクションとは全く違う力が働いている。

(どうやら人間にはそんな力があるようだよ、コナンくん。)

どれだけ人が亡くなろうと、どんな凄惨な事件が起ころうと、社会はますますきれいになっていく。

それだけはどうやら間違いがないようだ。

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7つの習慣メルマガにてご案内していた、以下の記事のURLが間違っていました。すみません。

こちらに正しいリンクを貼っておきます。

生きられなかった『柔らかい優しさ』の物語

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