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それは想像力の問題だった

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最近なにかにつけ、「それは想像力の問題だ」という言葉を発している。

今直面している社会や経済の閉塞感の多くも、想像力の問題なのだと思う。

僕らは想像力の問題を、情熱や努力量や技術や仕組みの問題にすり替えて、そこに限界を感じてきたのではないだろうか?

もうこれ以上の努力は無理。これ以上の情熱はもう出せないと思って行き詰まっている。確かにそっちは限界で行き止まりなのかもしれない。

テクニックや情熱を駆使しても、想像力の欠如は埋められない。

想像力を広げることが今必要なのだ。

僕らが暮らす10年後の社会がどのようであれば、より多くの人が幸せを感じるのか? その質問を持って毎晩未来を見に行く。

どこまで深く具体的に未来を洞察できるか。

そこへ来て始めて、歴史や社会情勢などを含む人間理解、つまり教養というものが必要になってくる。

世界をしっかり観察し、教養を深め、想像力を使えば使うほど未来を見通す精度は高まっていく。

そしてそれはやがて自分の想像ではなく、最初から存在していたようにさえ思える、神なる設計図とも言うべき世界へ行き着く。それを人はビジョンと呼んだ。

スティーブ・ジョブズは近い将来、人々がリビングで10インチのタブレットを持ってカジュアルに情報と戯れている未来を想像した。あるいはその未来を見ていた。それは「ビジョン」だ。

ジョブズはこう言っている。

「創造的な人々は、どうやって想像しているのかと聞かれると、少し後ろめたい気持ちなる。なぜなら、彼らは実際に想像しただけではなく、ただ何か見えただけだからだ。」

その同時期に日本の企業人は、リビングで家族みんなが妙にゴツゴツした大きなメガネをかけてテレビ番組を3Dで見ている場面を想像した(のだろうか??) あるいはそんな未来を無理やり信じ込もうとした。それはヴィジョンではなかった。妄想だった。

これは想像力の問題なのだ。

技術力や努力の前に想像力で負けている。

想像力とはビジョンにたどり着くための、知覚の翼のようなものだ。

10年後、人々は何に価値を置いて、何を求めて生きてるだろうか? どんな社会なら理想だろうか? その中で自分が担うべき役割は何だろうか?

想像力を駆使してそれを見ることさえできれば、情熱も技術も仕組みも後からついてくる。あるいはその技術を持っている誰かに出会うことになる。

毎晩毎晩、僕らが住むべき理想の未来を見に行こう。

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