以前、主催するワークショプの自己紹介で、参加者の女の子が、「ニューヨーク・シティー・マラソンにエントリーしました。」ということを言っていて、内心、密かに驚いた。
そんな言葉がこんな場所で聞けるのかと。
僕にとって「ニューヨーク・シティー・マラソン」という言葉は、秘密の引き出しにでもしまっておきたい言葉であって、ワークショップの自己紹介として聞くような言葉では無かった。
「エントリーしたので、当選したら走ってきます。」とキラキラした表情で健康的な文脈で話されるような言葉ではなかった。
僕が初めてこの言葉に出会ったのは17歳の時に読んだ、村上龍の「ニューヨーク・シティ・マラソン」と題した短編小説集によってだった。
男娼と娼婦とセックスとドラッグと、そんな酷い話ばかりで、今思うと高校生が読むにはあんまりな内容だったけど、当時の僕はその言葉の強さと、どこにも向かわないような世界の奔放な広がりに心を打たれて、何度か読み返すほどのお気に入りの短篇集だった。
だからその小説の中の憂鬱な風景や出来事と、当時の17歳の僕の鬱屈した心象と、どこにも向かわない田舎の僕の部屋の閉塞感とがひとまとまりになって、記憶の中に保存されていたのだと思う。
そしてなにより「ニューヨークシティーマラソン」は小説というおとぎの国の言葉であり、決して行く事はできない遥か遠くの異国の物語であった。
それが、今、現実の女の子の言葉によって、実体験するものとして語られたことに僕は軽い衝撃を受けたわけだ。
あれから20年が経ち、それは遠い世界のおとぎではなく、生身の人生として体験してもいい年齢に自分は達したのだ。
そこで僕も、ニューヨーク・シティー・マラソンを走ってみよう! ということには勿論ならなかったけど、それでも「ニューヨーク・シティー・マラソン」をもう一度読み直してみよう! という気持ちにはなった。そして実際に読んでみた。
先日ある本の中で「時間を庭とする。」という言葉に出会った。
時間というものを過去から未来へと進んでいく一本の線としてではなく、奥行きがあり庭のように広がる「面」として、プレイグランドとして捉えるということだ。
横軸の流れとは別に奥行きの広がりがあり、好きな時に自由にそこに遊びにいける。そんな広大な時間の庭の中で、映画や音楽や小説といった作品体験は1つのランドマーク(目印)となる。
「ニューヨーク・シティー・マラソン」を読んだ17歳の僕の読書体験は、時間の庭の奥行きに、ある1点として確かに特有の感覚を残していた。
そして、37歳の僕がある女の子の言葉をきっかけに、もう一度そこを目指すことになったわけだ。
それは茂みをかき分けて、昔隠した宝物の輝きを確かめにいくようなワクワクする体験だった。
そしてそこに行き着くともう一度それは体験し直されて、新しい認識が加わり、上書きされる。決して静的にそこにあり続けるわけではなく、そのランドマークもまた変わっていく。育っていく。
時折そこに戻っては感動したり認識を改めたり、再解釈されることで、それは育っていく。
恐らくこれこそが人というものだと思う。
未来を新しく体験するだけではなく、未来を高めるように成長するだけではなく、過去に遊びに行き、再び意味を与え、新しく感じ方を加え、上書きすることで過去を深めていく。植木に水をやるように栄養を与えることで、記憶は深く根を張り、幹を太くし、その結果として人は広く未来へと葉を伸ばせるようになる。
それが成熟するということなのだろう。
新しい体験が人を育てるのはもちろん、過去の解釈の多様性もまた人を育てるのだ。成長ではなく成熟という形で。
とはいっても、この時間という庭の中は鬱蒼として秘密に満ちていて。そこに入っていくことはどこか独りよがりな内向的作業だから、普段はあまりそんなことは考えない。
日常生活では「そんなものありませんよ。」という顔をしている。私は薄っぺらくて表面的で、ペラッペラですよ!という顔をしている。
だけど、たまに出会った誰かの中に自分と同じ何かを感じたら、その人をどうにかしてそのランドマークへ連れて行ってみたくなる。自分の中の時間の庭に連れ込み、大切に隠していた場所へと連れて行ってみたくなる。
それはなかなか厄介な作業で、地図も無く、手がかりは芸術作品と言葉しか無い。
それでも、言葉を尽くして、連れていく。
もっと奥、もっと右、いや違うもっと先。
解釈も与える。
こんな感じ。どう? わかる?
本当にそこにいる?
その感じ体験できてる?
ほんと? わかる?
とか疑心暗鬼になりながらも、でもどうしてもその人にその場所に行って同じ感覚を感じて欲しい。
その感覚を共有して欲しい。
そんな風に思うことってありませんか?
ありますよね。
もし、そう思えたとしたらあなた、
それこそが、
その感覚こそが、
恋というものですよ(笑)
( ´,_ゝ`)プッ
何 の 話 だ !
村上龍の「ニューヨークシティーマラソン」はほんとお勧めですよ。何より今の時代には無い暑苦しい感性で書かれている。収録作品の中でも「蝶乱舞的夜総会」は特に素晴らしいです。お勧めします。
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