実家に帰って来ました。
18歳まで過ごした田舎の相生市での年の瀬と年越し。
もう何十年と繰り返してきた、いつもの感じ。
去年のこの時期にも今と同じように、このキッチンのテーブルで一年を振り返る文章を書いたわけですが、それからまた一年が過ぎ、また同じようにPCに向かっているわけです。
一年は本当に早い。
そしてほとんど同じことの繰り返し。
でも、この同じ事を繰り返す感じが、昔ほど嫌じゃない。
何も変わっていないようでいて、しっかりと着実に変わっている。
年輪を重ねていくように凝縮していく感覚がなんとも頼もしい。
目に見える成長や飛躍的な変化ではなく、同じ事の繰り返しの中で深まっていくような感覚。
外から見ると、同じように見えて、内面の奥行きと気の充実はまるで違う。
そういった変化のほうが、今は信頼できるように思います。
今年も、去年と同様にオフィスに引きこもるようにカウンセリングの毎日でした。
それに主催のプレゼン練習会とワークショップが加わるけど、行動範囲は本当に狭い。
カウンセリング。ファシリテーション。セミナー。
それをひたすらに繰り返してきたような一年でした。
でも、同じカウンセリングをしていながらも、今は一年前とはまるで違うカウンセリングをしているように感じます。
何が違うかと問われると難しい。
客観的に外から見た感じはそれほど変わらないのかもしれない。
でも自分の体感ではずいぶんと違う。
相手の僅かな表情の動きから内面を洞察していく深さや、発する言葉に込める気を相手の内蔵に作用させていく力。
そういったレベルで、カウンセリングは深まっていった。
熟練するというのはこういうことだろうか。
見た目にはいつも通りだとしても、深まっていく世界があるのだと知って、歳を重ねることの面白さを知った。
と、同時にようやく年長者や親に対する敬意を少し持てるようになった。
今年もまた同じように、僕はこのキッチンで文章を書いて、母親は相変わらずなおせち料理を作り、親父は庭をいじり、テレビは低俗に同じようなものが流されている。
10代の頃は吐き気がするくらい嫌悪した、凡庸で退屈な繰り返しの風景。
でも侮るなかれ、
目に見えるものだけが世界じゃない。
人生は思っていた以上に面白いものかもしれない。
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