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生産性を捨てると宿るもの

最近は夕食の時にAmazon Prime Videoで「ぽつんと一軒家」を1話づつ観ているのですが、あれ良いですね。

無性に田舎暮らしをしたくなります。

特にお気に入りは

シーズン2 2020年 エピソード76
「あのぽつんと一軒家は今 徳島県」

というものです。

Amazon Prime Videoを観られる方は是非観てくださいね。

獣道を通るような山の中にある古い家で、90歳を超えるおばあちゃんと70超えの老人3人と合計4人で暮らしているのですが、その暮らしぶりが凄いんです。

70代の息子が薪を切ってそれを積み上げて数ヶ月かけて乾燥させ、それを70代の嫁と2人で背負って家まで運ぶ。(撮影の日は6往復!)

そして持って帰った薪を、今度は80代のおじいさんが薪割りの機械を使って4つに割る。

そしてその割った薪を今度は90歳のおばあちゃんが家の横に積み上げていく。

で、その薪を焚いてご飯を作ったり、お風呂を沸かしたりするわけです。

この生産性…

すごくないですか?

僕らの知っている最新のお風呂では、ピッ!とボタンを押すと自動で適温のお湯が出て、湯船ができあがると勝手に止まって、ピピピ!とアラームを鳴らして知らせてくれます。

ボタン1つ。ほとんどカロリーを消費しません。

でも先の家ではお湯を沸かすのも4人がかりです。

薪を乾かすところから入れると数ヶ月の作業です。

家まで運ぶにも最初は重くて身体が大変だったというから、カロリー消費量も凄いです。

それが僕らはボタンをピッ!です。あるいはお湯の蛇口をキュッ!です。

それで適温のお風呂が用意されるわけです。

この差が圧倒的すぎて、思わず考え込んでしまいました。

僕らは気づけば驚くべき生産性を手にしていたのだ…ということと、

では、その代わりに余った時間とエネルギーを使って、いったい僕らは何を手に入れたのだろうか?ということ。

いったい薪を切ったり焚いたりする代わりに僕らは何をしているのだろう?

そして、あの山に住む4人は圧倒的な生産性の低さによって何かを失っているのだろうか?ということ。

あるいは得ているのだろうか?

あの90代のおばあちゃんのお佇まいの神々しさはどこから来るのだろうか。

圧倒的な生産性の高さと低さ。

そのどちらが人を幸せにするのだろうか?

いろいろと考えてしまいます。

与えるものが受け取るもの、というのがこの世の絶対法則であるならば、

日々の労働によって暮らしに与えた多大な時間やエネルギーや意識によって、あの人達は何かを確実に得ているはずです。

その確実に得ているであろう目に見えない何か。

それが確実に存在しているような気がして、画面から目が話せないのだけど、それを言語化することは難しいんですね。

ただ憧れるんです。

それは僕らにとっては生まれた時から既に失われていながら、失っていることさえ気づいていない何か、とも言えるかもしれませんね。

いやほんと。興味深いです。

最近僕は丁寧に料理をしたり掃除したりすることの気持ちよさに目覚めてきているんですが、

それも今の時代に失われたものをささやかながら取り戻そうとする試みなのかもしれません。

暮らしを営むということそのものが遊びであり喜びであり、信仰であるかのような日々。

それを100年以上続けてきた人たちの神々しさ。

素晴らしいので、是非見てくださいね。

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