7歳の娘は、Amazonで買った絵の具セットが届くのを今か今かと待っている。
娘「とと。絵の具セット何時くらいに届くと思う?」
僕「う~ん。3時くらいちゃう。でもわからんで。」
娘「え~(´・ω・`) 3時!? 遅い~、待てへんわ。」
・・・2分後・・・・
娘「なぁなぁ。とと。」
僕「ん? なんや。」
娘「ととは、絵の具セット何時くらいに届くと思う?」
僕「いや、だからわからへんで。3時くらいやと思うけど4時かもしれへんし。」
娘「え~(´・ω・`) 4時!? 遅くなってるやんか~。」
とか、なんとか、さっきからそんな会話を繰り返している。
仕事にならん(-_-;)
これを書いてる今も娘は、僕のそばでゴロンと横になって、絵の具セットを物欲しそうに待っている。
待ちながら何かをするという発想の無い7歳児は、「待つ」ということを全身で体現している。それはつまり布団にだらしなく横になったり、足を変な形にしてみたり。
思えば僕も昔は学研の「科学」を届けてくれるおばさんを、窓を空けて「まだかまだか」と待ってたな。←これ分かる人いないかな?(笑)
今ではそれほど何かを待ち遠しく思うことは無くなり、毎日のように届くアマゾンからの荷物も開封されずに積まれていたりする。物を所有することや商品と出会うことに対する感動は明らかに低下している。
でも、子供たちにとってこの世界はまだ新しく、ワクワクすることだらけなのだろう。
そういう子供たちのキラキラした欲望を通じて世界を見ることで、少し世界が鮮やかになりますね。
「あんな。これ見て。ここにペンが入ってるねんで。ほんでこれが鉛筆削りやねん。」と娘は筆箱を広げて、非常に当たり前のことをドヤ顔で説明してくれます。
欲望と喜びを込めて彼女は世界に注釈を与えてくれる。そんなことで日常がいつもより少しだけ色濃く意味性を帯びる。
これ子育ての悦びの1つかな。
まあ、仕事にはならんけど…。
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