最近、個人的に茂木さんが面白いんですよ。
あの脳科学者の茂木健一郎さん。もじゃもじゃ頭の。
以前何冊か著書を読んだことがあるしテレビでも見たことがあるんだけど、テレビの茂木さんってテレビ用に大人しくしてるんですね。
YouTubeとかで見ると熱い上に、時には多動かと思うようなスイッチが入る時がある。
もう創造性がとまらない!って感じで、本当に楽しそうに脳を使っている。
社会学者の古市憲寿さんが一緒にパネリストとして出てて最後のコメントで、「僕も落ち着きないですけど、茂木さんがほんと落ち着き無くてびっくりしちゃいました」って(笑)
人が喋ってるのに横で変な運動をしたり。
本人曰く、人の話を聞くだけだと脳の負荷が足りなくて他のことやりたくなっちゃうって、分かるけどやな…(笑)
でも見てると気持ちが自由になるんですよね。
楽しそうだし情熱が凄いし、知の高揚感みたいなものが伝染してくるんです。
で、面白いのが、
古市さんの前で日本の社会学は学問として終わってるって言ったり、
運営元の社長である藤田さんの前でabemaTVをディスったりする人なんだけど。
そして、最近では「日本のお笑いはオワコン」 「国際水準のコメディアンとはかけ離れている」とか言って、炎上して批判を浴びたりしていたわけですけど、
別の所(藤田さんの前でAbamaTVをディスった席)でこういうことを言ってるんです。
「僕、高校の時ニーチェを読んで二十歳の時ミルトン・フリードルマン読んだのがものすごく影響を与えていて、
僕の人生の一貫したミッションはより自由になりたいってことなんですよ。僕はリバータリアンなんです、簡単に言うと。
で、30代、40代、50代と常にその命題との格闘だったと思うんですよ。
意外とこれは難しくて、例えばさっき(藤田さんの前で)abemaTVをディスってましたけど、
「藤田さん、abemaTV素晴らしいですね~!」って言うのも自由じゃないんですよ。でもここで藤田さんと決別してしまうのも自由じゃないんですよ。
僕さっき地上波テレビをディスったけど、付き合ってるんですよね。出演の依頼があれが出るんですよ。
大学もディスってたけど大学で教えたり博士課程の学生の指導をしたりしてるんで。
これは特に日本ようなピア・プレッシャー(仲間からの圧力)の高い社会で生きているみなさんによく考えてもらいたいんだけど、
例えばマーケットに合わせたものを出すって儲かるだろうけど、レッドオーシャンでブルーオーシャンに行けないですよね。
だからと言ってマーケットとあまりに違うものを出しても空振りになって、会社傾きますよね。
そこの微妙な間合いの中に自由ってあると思うんですよ。
僕はずーっとそれを探ってきているような気がします。
最近モハメド・アリさんが無くなって動画が色々出ていて見てたんですけど、1分位こうやって相手の打ってきたパンチを全部かわすみたいな動画がありましたよね。
モハメド・アリさんて結局ヘビーウエイトで物凄いパンチもあったけど、相手のパンチを受けないということで、試合を(コントロールしてきたんですね) そうするとものすごく相手のパンチを見ないといけないわけじゃないですか。
なんか自由ってそういうところに似ていて。
中略
俺はいまだにそこを探ってる気がするですよ、50になりますけど。
こうして不規則発言をしますよね。田中さん(司会者)とかすげー焦ってると思うんですよ。
不規則発言しちゃうんだけど、やっぱりその時の皆さんのリアクションとか世間のいろんなこととかを見ながらパンチを受けないように必死になってかわしているところがあって、そこの間合いの中で…以下略」
なるほどなぁと思うんです。
僕は日本的な礼儀作法とか文法を重んじる中での自由というものを見てるわけだけど、そして確かに礼儀作法が無意識に自動的に扱えるようになると変な攻撃は受けずにストレスなく、気遣いからは自由でいられるわけだけど、
それによって損なわれているものって大きいのかもしれないなと。
変な音を出して他者と不協和音を作る中にある自由は、刺激と創造性が高そうだなと、新しい可能性を感じたのでした。
少なくとも僕が意識したことのない種類の自由だなと。
その後、お笑いをディスった問題でワイドショーにまで取り上げられるようになったわけですが、
茂木さんはその後AbemaTVに出演してウーマンラッシュアワーの村本さんと2時間に渡って、日本と海外のお笑いについて語ってるんですね。
その後、松本人志のワイドナショーにも出演して、パンチを受けたりキャラを使ってかわしたりしている。
批判した対象から逃げずにむしろ近づいていくんですよね。
これが彼の言う間合いであり、その中に現れてくる自由と刺激(ヒヤッとするような緊張感も含めて)の価値は、彼にしか分からない質のものだろうなと思うんです。
だから、今回の茂木さんの言動を見て「やっぱりああいう発言はダメだよね…」というのは違うんですね。
それだと逆なんです。より強いピア・プレッシューの中に自分を絡め取ってしまう。
批判しておいて決別もせず屈託なく近づき対話を深めたり、パンチをよけるつもりがめった打ちに合ったり、謝って反省したりしながらもまた節操もなく自分の意見をツイートし続ける茂木さんの在り方に、自由と希望を見ないといけない気がするんですね。
僕は100万部を超えるベストセラーとなった「嫌われる勇気」にはあまり感銘を受けなかったのだけど、茂木さんの行動の中に立ち現れている嫌われる勇気と自由にはとても励まされるんですよね。
心を開放してくれる感じがするんです。
ここ最近の僕は人生が安定し過ぎて、飽きてしまったような妙な感覚に包まれていたのだけど、
今後進むべき僕の未開の地は相手のパンチの間合いや、パンチを打った時に生じる懐のスペースあたりにあるんじゃないかと考えたら、なんだか元気が湧いてきたんです。
もっと打たれないとね。
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