アマゾンからのお勧めメールを見ると、そこに「鶴見済」という、懐かしい名前が…。
「完全自殺マニュアル」を書いた人だ。
あの人の才気あふれる文体と切り口が好きだったなぁ。後で覚醒剤で捕まって、それは才気ではなく薬物の覚醒だと知ることになるのだけど…。
それにしても、この本。発売された93年で、なんと100万部突破したのです。
今考えると凄い時代ですね…。
「完全」「自殺」「マニュアル」が100万部です。100万部というと、1つの時代の空気を反映しているということですね。
確かに成功することよりも屈折することの方が真実の成長であるかのように思えた、奇妙な時代でした。(実際、僕もドロップアウトして世捨て人してたし…)
こうして思うのは、自分が最も多感だった青年期が、どんな「時代の空気」に支配されていたのか、それを相対化することが大切だということ。
普遍的であるように思える価値観も、実はとても特殊なある時期特有の空気なのだと、そう理解しないと、いつまでたってもそこにとどまってしまう。
悪くすると、それを「私」というパーソナリティ固有の性質だとしてしまう。
でもそれは違う。
「夢をかなえるぞう」が100万部を突破した数年前も同じで、「成功」とか「努力」というものが全ての個人にとっての価値であるような、1つ特殊な時代の空気に包まれていた。 (一時期ほどではないけど今もそう。)
包まれている間はそれが特殊なものであるということは見えない。普遍的でいつまでも続くスタンダードのように思える。
でもまた新しい波が来て、新しい気分が生まれる。
その波にその都度飲まれて、右往左往するのが僕らなわけだが、それはそれで楽しいなと最近は思います。
時代の空気に飲まれて、時代とともに遊ぶ。
目指すところがあるとすれば、それは時代空気の移り変わりのタイミングと、自分個人の人生の流れや成長の段階をシンクロさせていくことです。
最近は自分の小目標は、そこに置くのが面白いのではないかと思い始めました。
つまり、「完全自殺マニュアル」の時代には、しっかり完全に屈折して、そして時代がその流れを終わらす頃には、自分もしっかり飽きて成長をしている。
成功の時代にはしっかりまっすぐ成功を目指して実際に成功して、それが終わる頃には自分の中での成功ブームも終わっている。
そうやって時代の流れとタイミングを合わせていく。シンクロ率を高めていく。
時代と協奏する感じ。
でも一方で、その節操の無い自分の移り変わり体験の奥底に流れている「変らない何か」に気づき始める。
変わり身が早いからこそ際立ってくる自分の中にある「変らない何か」
それこそが「個」という、磨きぬかれた一貫性です。
僕は、僕という個人が頭で考えたミッションや目標よりも、自己像よりも、はるかにそちらを信頼しています。
いつまでも変わらずに一貫した自分軸というものがもし存在するとすれば、それは変わり続けることを通じて見出すことができるということですね。
だから、若い人はそんなに固くならなくていいです。アホみたいに節操無く変わっていけばいい。
硬くなって一貫性に執着していると、逆に自分が見えないし、迷う。
30代40代で人生を迷っている人を見ると、この方は1つの目標にしばられて、(それはつまりその目標を生み出した1つの時代の空気にしばられて)しっかりフラフラしてこなかったんだなぁ、と感じます。
柔らかく柔らかく。行きましょう。
そして今は?
時代は「成功と日常の心地良いバランス」に向かってますね。
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