日常のあれやこれやを全て流し去って、警戒心もほどいてゆるめて、
心を相手への慈しみに100%純化させる。
そして、心を柔らかく溶かして溶かして、相手の心と重ね合わせ、通い合わせ、混ぜ合わせることの至福。
相手の中で自分という感覚が消えて無くなり、やがては相手も無くなり、溶け合った心が全体性の中でただ胎動しているという感覚になる。
愛する人の存在と合一化することを通じて、全体性へ回帰するということ。
それは、とても強烈な体験です。
全体性とはまさに魂がもつ感覚だから、その意味で、これは愛を使った瞑想です。
そして、存在が無条件に肯定される感覚を受けるという意味で、これは究極の癒しです。
さらに、2人で一緒に変容の旅に出るという意味では、究極とデートでもあります。
こういった存在レベルの体験に比べると、
肉体的な快楽というのは、単なる入り口であり、神が与えた子供のオモチャのようなものなのかもしれません。
そのオモチャに執着して、もっともっとと追求し始めると変な世界に入ってしまうんですね。
そっちじゃないんです。
押尾くんはわかってないなぁ…。
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真っ昼間からすみません^^;
目が覚めたら、こんなことが頭を占領していたので、責任を持って書きました(笑)
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