ブログをリニューアルしています

そっちの話です

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 日常のあれやこれやを全て流し去って、警戒心もほどいてゆるめて、 心を相手への慈しみに100%純化させる。 そして、心を柔らかく溶かして溶かして、相手の心と重ね合わせ、通い合わせ、混ぜ合わせることの至福。 相手の中で自分という感覚が消えて無くなり、やがては相手も無くなり、溶け合った心が全体性の中でただ胎動しているという感覚になる。 愛する人の存在と合一化することを通じて、全体性へ回帰するということ。 それは、とても強烈な体験です。 全体性とはまさに魂がもつ感覚だから、その意味で、これは愛を使った瞑想です。 そして、存在が無条件に肯定される感覚を受けるという意味で、これは究極の癒しです。 さらに、2人で一緒に変容の旅に出るという意味では、究極とデートでもあります。 こういった存在レベルの体験に比べると、 肉体的な快楽というのは、単なる入り口であり、神が与えた子供のオモチャのようなものなのかもしれません。 そのオモチャに執着して、もっともっとと追求し始めると変な世界に入ってしまうんですね。 そっちじゃないんです。 押尾くんはわかってないなぁ…。 ***** 真っ昼間からすみません^^; 目が覚めたら、こんなことが頭を占領していたので、責任を持って書きました(笑)
Share on Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加
Bookmark this on Google Bookmarks

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です