いやー。いい天気ですねー。
東京から大阪に帰ってきて、淀川の河川敷に来てベンチに座って日向ぼっこしてたら、自分でも思いますよ。
老後か!と…(笑)
平日の昼間は、周りはお年寄りしかいません。
寝転んで空を見てたら、それがまた気持ちが良い。
自分の中の子供も戦士も父親も先生もおじいちゃんも、全部生きるということですなぁ。
場所にはそれぞれにエネルギーがあって、それが流れているスピードもそれぞれです。
可能な限り人がいない場所で太陽や植物や土とともにいると、自然が持っているゆったりとしたスピードに自分のチューニングが戻って行くのが分かります。
東京は驚くほどスピードが早い。
人の意識も高い。
だから東京のカフェでPCに向かってると、勝手に頭がキレキレになって仕事がはかどります。
皆、それぞれ思う存分に自分の才能を発揮していい。遠慮せずに最上を目指して良い。何だって好きなものにチャレンジして良い。
そういう空気感が清々しくて、そのエネルギーに乗っかりながら仕事をすると気持ちが良いのです。
でも、スピードと生産性ばかり優先していては、取りこぼしてしまう幸福感も沢山あります。
あの東京の強烈なエネルギーの中にいると、そんなものがあったこと自体も忘れてしまいますが、
こうやって大地と空と自然と戯れていると、思い出します。
あぁ。この感じ…久しぶり…と。
どの密度まで自分の神経は保ってくれるんだろう? どのバリエーションまで扱えるだろう?と見てきましたが、
そして一時、東京と大阪と田舎の3つの場所の落差に、多重人格のようになっていたこともありますが、
そろそろ分かってきました。
やっぱり自然とチューニングできている時の自分がベースであり本来であり、あとはアミューズメントパークに来てアトラクションに参加している感じなんですね。
アトラクションの無い人生もつまらないけど、アトラクションだけの人生も悲劇かもしれない。
だからたまにはこうやって自然に親しんで、自然の一部となるくらいに自分をチューニングし直して、その時に出てきたフィーリングやアイデアや方向感に従ってまた動いて行こうと思っています。
どこにチューニングされている時に立ち現れるフィーリングが本物の幸福を作っていくのか?
それを知っておくことが本当に大切です。
今のように情報が多く場所移動も簡単な時代には特に、パラレルに生きるということができてしまうので、
今時分がどのリアリティの人生に種を撒いているのか。
今広がっているアイデアやイメージは自分をどこにチューニングした時に出てきたものなのか。
そういったことに自覚的でないと、人生が散らかります。
触れる場所の氣、関わる人の意識、その時自分に立ち現れるフィーリング。内面に広がるイメージ世界。
そういったものを自覚して、意図的に選択していきましょうね。
本当において自分を幸せにしているのは何なのか?
それは自分をどこに置いた時に出てくるものなのか?
案外それはとてもシンプルなもので、求めるまでもなく気前よく与えられているものかもしれません。
太陽や大地や青空、みたいに。
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