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映画「砂の器」は昭和49年の日本を体験できるタイムトラベル・ムービーだった

新型コロナウィルスの影響でなかなか外でぱーっと遊ぶこともできない今。

ならば久しぶりに映画でも観てみようかとアマゾンプライム・ビデオを物色して、松本清張原作の「砂の器」を観ました。

やっぱり昭和の映画のチョイスになる。

僕はもうストーリーというものに心動かされることが無くなってきていて(瞑想しすぎた)映画を見ることも随分減ってきているのですが、

古い映画には、当時の時代の風景や古い日本人が心に抱えていた目に見えない重さなど、

今は無い何かと戦っているのがうかがえて、文化人類学的な興味を満たしてくれるんですね。

その意味で、この「砂の器」は素晴らしかった。

昭和49年の日本の景色がとにかく美しかったり懐かしかったり(僕はまだ生まれていませんが)タイムスリップしたような感覚になります。

まだインターネットが無い時代の仕事の仕方。人との距離。黒電話と手紙でのやり取り。タバコ吸いまくり。とりあえずビールを飲んで語り合う。それがなんだか羨ましくもありました。

街の本屋の入り口が映ったら、あの本屋の中にはどんな本が並んでいるのだろう?と、ものすごく好奇心が刺激されたり、

当時の大阪駅前が映ったり、通天閣の周りが映って、あぁ、昔こんな感じだったんだ、方向性は今と変わってないな…と思ったり、島根県の田舎が今の自分には理想郷のように映ったり、

映画「砂の器」は昭和49年の日本の景色を体験するには絶好の作品となっていました。

もちろん作品としても面白く、アマゾンレビューによると原作者の松本清張をもってして、「原作を超えた」と言わしめた作品なのだとか。

普通に映画としても名作なので、良かったら是非観てみてください。

※ハンセン病というものが当時は穢(けがれ)の思想と結びつき忌み嫌われ、とてもきつい差別の対象であったということだけ基礎知識として持っていていただけるとより理解が進みます。

若かりし頃の丹波哲郎とか森田健作とか渥美清とかも出ていて、いろいろ興味深いです。

映画による時間旅行。

愛人のいるアパートはやはり線路のそばの文化住宅(笑)

昭和のあの感じ、好きです。

今の世界はもうすっかり情報化し、様々な選択肢にアクセス可能で、その結果、意識は随分軽く開放的に進化しているものだから、

この映画の登場人物にあるような昭和49年的な重さや心の制限を、もう僕らはほとんど持ってはいないのだということを実感します。

そして同時に、制限があることによって、昭和という時代には美しい悲劇が起こり得たのだと、不謹慎ながらもそれを「豊かさ」だと定義する自分がいたり。

また、この映画を観ている今の僕らも、40年先の未来の意識から振り返られると、「随分重たいしがらみと不自由さに心を縛られていたのだな」と、そんな文化人類学的な興味を持って眺められる日がくるとしたら、

その時僕らを見ている意識とはどんなもんだろうかと、

そんなことを思いました。

「お金のためにやりたくない仕事とかしてたんだ…。なんか辛そう…。」とか

「嫉妬とか、私だけを見てとか、いいねー。でも意味分かんない…」とか、

なっているのでしょうか。

そうやって40年後の意識の軽やかさに思いを馳せては、ちょっと瞑想してそれの体感を試みたり。

なかなか楽しみは尽きない、充実した巣ごもり期間となっております。

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