8月も半ばを過ぎて、蝉が鳴かなくなりましたね。
夏の盛りは本当にあっという間。でもだからこそ特別ですね。
皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?
僕は、この夏にやろうと決めていたことはおおよそできたのですが、一つ心残りなのは、カブトムシがとれなかったことです。
ザリガニも少なかった。
僕は虫捕りに関しては天才的だと自負していたので、ちょっとプライドが傷つきました。
気になったのは、森林にカブトムシの気配というかエネルギーを感じなかったことです。
感じなくなってから初めて「そんなものを感じて虫捕りしてたのか!」と気づいたのですが、去年は確かに、カブトムシやクワガタがいる気配を感じていたし、実際にいた。
でも今年は最初からそれを感じられなかったし、やっぱりいなかった。たぶん、カブトムシの絶対量が減っているのだと思う。
どんどん味気ない町になっていってる気がするぞ、相生市。
昔は沢にはサワガニがいて、ヤゴがいて、そこをとんぼの王様であるオニヤンマが飛んでいました。
皆さんはオニヤンマが飛んでいる姿を見たことがあるでしょうか?
普通のとんぼは自由に旋回して飛び回るけど、オニヤンマは堂々と直線で飛ぶのです。
その姿は本当に凛々しくて王者の風格さえ感じさせます。
かっこいいのです。
そして子供の頃の僕は、虫取り網を構えて、その王者に勝負を挑んできました。
それが真剣勝負で、本当に面白かった。
大人が用意したどんな遊びよりも、面白かった。
用意されたものでないし、手加減も無いからリアルだった。
そう思えば、僕にとって、そしておそらく大半の子供たちにとって、大自然と町の境界線こそがスリリングな遊び場であり、学び場だったのではないでしょうか。
既知と未知の境界線といってもいい。
そこは真剣勝負の世界です。努力してもどうにもならないこともあれば、危険もつきまとう。
でも境界線なので、怪我をしたら一時撤退してすぐに町にもどることもできる。
遊ぶために大人に準備された場ではないし、見せるための自然でもない。
その未知に対して自分で想像を広げて戦略を立てて、攻略していく手応え。
五感全部を研ぎ澄ませて挑む感覚。
それが自然と町の境界線で遊ぶなかで鍛えられたものです。
今思うと、僕はそこでいろんな能力を育ててもらったようです。
既知と未知の境界線で、少しずつ未知を既知へと攻略していく。
その攻略すべき未知は、虫取りから、やがて女の子の心と性へと対象が変わり(笑) その後、哲学や芸術になったり、ビジネスになったり、
そして、今は人の心理や魂やうつ病が主戦場になっていますが、やっていることは当時と変わっていません。
未知を攻略するために、真剣勝負を挑んでいるのです。
そう思うと、今も僕は同じ遊び場にいます。
こういった自然との境界線で五感を研ぎ澄まして勝負する感覚を子供たちに与えたいなと思うのだけど、町はどんどん変わって行きますね。
昔は境界線が良い意味で曖昧で、人の手も入っていながら自然でもあるというグレーゾーンの里山が広がっていました。
でも今は境界線には垣根が張り巡らされ、コンクリートで舗装され、遊び場はあらかじめ準備された公園になっています。
それが僕には残念に思えてなりません。
自然という未知と危険が無ければ、人はこの世界に対する畏怖と好奇心を失い、ダラっとしてしまって、動物的な何かを無くしていく気がするのです。
僕に今すぐできることは何も無いけど、人生をやりつくしたら、余生はカブトムシだらけの里山を作って世間を驚かしてやろうかと、密かにたくらんでいます。
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